©Bella Spurrier
1976年のこと。パリでワインショップとワインスクールを経営していたイギリス人のスティーヴン・スパリュアは、カリフォルニアで当時最高と目されていたカベルネ、シャルドネ各6銘柄を試飲する会を開くことで、アメリカ独立200周年を祝うことにした。スパリュアは、カリフォルニアワインと比較対照する目的で、ボルドー産の赤を4銘柄、ブルゴーニュ産の白を4銘柄、ラインナップに加える。審査を行ったのはフランスでも最高のワイン鑑定家たちだったのだが、なんと赤ワイン部門、白ワイン部門の両方で、カリフォルニアワインをフランスよりも高く評価した。このテイスティングは、「パリスの審判」として知られるようになり、「優れたワインはヨーロッパでしか生まれない」というのが通念だった時代がここに終わる。このテイスティングの結果についてフランス人の審査員たちは、「カリフォルニアワインは熟成しない。30年後に同じワインを飲めば、フランスが勝つ」と述べていた。
©COPIA/Faith Echtermeyer
2006年5月24日、「パリスの審判」から30年後の再戦が、ふたたびスティーヴン・スパリュアによって開かれた。この年のテイスティングは、ロンドンと、ナパにあったワイン施設COPIAでの二拠点同時開催であった。1976年のテイスティングと同じように、拠点ごとに9人の優れた鑑定家が審査員を務め、30年前と同じ赤ワインを、30年熟成の進んだ状態で試飲するという趣向。果たして、ロンドン、ナパの両方で堂々一位に輝いたワインは、リッジのモンテベロ 1971年であった。両国の審査結果を合算すると(以下参照)、リッジのモンテベロだけが群を抜いて点数が高いことがわかるだろう。第2位のワインとの差が、18点もあったのだから。エレガントなモンテベロのワインが、大西洋の両岸で光り輝いたことを、我々はとても誇りに感じている。蒼々たる人々が審査員を務めていたのだから、感慨もひとしおである。ロンドンの審査員の中には、マイケル・ブロードベント、ヒュー・ジョンソン、ジャンシス・ロビンソン、ミシェル・ベタンヌといった著名な専門家たちが含まれていたのだ。
この日には引き続いて、若いヴィンテージの赤と白の試飲も行われた。こちらには、1976年のテイスティングには含まれていなかった、トップクラスのカリフォルニアワインが新たに数銘柄加えられている。若いヴィンテージの試飲においては、フランスとカリフォルニアが競うことはなかった。同じテーブルで試飲は行われたものの、フランスワインはそれだけで、カリフォルニアも同様にという具合、つまりは独立した試飲となったのだ。喜ばしいことに、カリフォルニア産の若いカベルネ部門においても、リッジ・モンテベロ2000年が、両国審査員の合計点で一位に輝いてくれた。ただし、2位との差はわずかに1点。戦った相手は驚嘆すべき銘柄そろいで、シェイファー・ヒルサイド・セレクト 2001、フェルプス・インシグニア 2002、スタッグス・リープ・ワイン・セラーズ・カスク23 2001など。
この日はリッジにとって、モンテベロにとって最高の一日となった。この日の結果は、適熟のブドウから造られたワインに対する福音であったのだ。