パソ・ロブレス Paso Robles

リッジで最も南の畑

ベニート・ドゥージー・ランチは、サンフランシスコ湾近辺よりも南の地域で、リッジが唯一ブドウを購入している畑である。ランタ・ルチア山脈とシャローン丘陵に挟まれる立地で、パソ・ロブレスの町のすぐ南、国道101号線ならびに46W号線からも近い。パソ・ロブレスAVAに属しているのだが、この地域はいつも昼夜の寒暖差が非常に大きくなる。日中は暑いのだが、夜になると冷え込むのである。この気象条件のおかげでブドウ樹は、ジンファンデルらしいベリー風味とヴェルヴェット様のタンニンを備えた、素晴らしい果実を実らせてくれる。岩の多い、砂利まじりの土壌に根を張る株仕立ての樹々たち…。

ドゥージー家

シルヴェスターとカテリーナのドゥージー夫妻は、イタリアから米国にやってきた移民である。最終的には1920年代になって、パソ・ロブレスの地に腰を落ち着けた。1924年に夫妻は家付きの農園を購入し、そこでグイド、ダンテ、ベニートという三人の息子を育てている。グイドとダンテが1944年に戦争に行ってしまったあと、ブドウ畑の管理は残った父と幼いベニート(当時11歳)に託されることとなった。ベニーの愛称で友人たちから呼ばれているベニートは、それ以来ずっと畑の世話をし続けた。もともと「ホーム・ランチ」(自宅の農園)と呼ばれていた畑は、今ではベニート・ドゥージー・ランチとして知られるようになっている。我々のパソ・ロブレス・ジンファンデルは、この畑のブドウを使っている。

ジンファンデルへの献身

今日ベニート・ドゥージー・ランチと呼ばれるブドウ畑は、もともと1923年に植樹されたものである。当初から、畑のすべてがジンファンデルの樹で、それは今も変わっていない。85年以上も前に開墾された畑としては、このように一品種に特化したのは極めて珍しいことである。当時は、複数品種を混植するほうがずっと一般的だったからだ。しかしながら、ドゥージー家がジンファンデルに一意専心し、ブドウの世話を完璧なレベルで行っていることこそが、この農園を特別な存在にしているのである。

リッジのワイン造りは1967年から

リッジの長年にわたるベニートとの関係、ドゥージー・ランチとの関係は、創立者のひとりであるデイヴ・ベニオンがドゥージー家の扉を叩き、5トン分ブドウを買いたいと頼んだときに始まった。1967年のことで、この時のブドウから、桁外れに優れた当畑のジンファンデルをリッジは初めて造った。今日、我々はベニート・ドゥージー・ランチから二種類のワインを生産している。ひとつはリッジ・パソ・ロブレスというラベルのもの。もう一種はごく少量しか生産されないため、ワイナリーでしか販売していない銘柄なのだが(日本未発売)、リッジ・ドゥージー・ランチとラベルに書かれている。いずれもジンファンデル100%である。

ジンファンデル100%、パソ・ロブレス100%

ベニート・ドゥージー・ランチのブドウを仕込む際には、人手を極力加えない優しい醸造アプローチを採っている。手収穫、天然酵母でのアルコール発酵、最小限の人為的介入が組みあわさることで、この畑、そしてパソ・ロブレスAVAの真髄を産み出しうるのだと我々は信じる。そのワインにはいつも、深みがあって瑞々しいイバラ科のベリーの味わいがあり、ブラックチェリー、砂利まじりの土、豊潤なチョコレートのニュアンスも感じられる。パソ・ロブレスもまた、最高のジンファンデルの姿なのである。