連載コラム Vol.356

リッジとアメリカンオーク その1

2020年1月6日号

Written by ポール・ドレーパー

長年醸造責任者を務め、現在会長の地位にあるポール・ドレーパーは、チリでワイン造りをしていた頃を思い返し、リッジでアメリカンオークを使うことにした決断について述べてくれた。

ポール・ドレーパー: アメリカ合衆国においては、樽を入手するのはたやすい。しかしながら、私が自ら経験したように、チリにおいてはそうではなかった。私たちはチリ産のオーク材を仕入れ、地元の樽製造業者と協業することによって、必要とするワイン用の樽を入手せねばならなかった。そのおかげで、樽製造のプロセスのひとつひとつについて、熟知することができたのである。この体験があったからこそ、私は非常に早い時期からオーク材の産地と、それをどう加工するかについて考えざるをえなかった。私に知恵を授けてくれた人物として、若きフランス人であったフィリップ・ドゥルテがいる。ボルドー大学で醸造学の学位を取った男で、その一族は彼の地でワイン・ビジネスを営んでいた。当時、フランス政府は学生に対して、兵役に代わる機会を与えていて、陸軍に入るのではなく、発展途上国で技術者として働くことができた。フィリップともうひとりの友人は、チリ大学で醸造学を教えるべく遣わされており、その延長としてチリの栽培家やワイナリーの手伝いもしていたのである。

フィリップとはよく顔を合わし、親友になった。ワインに関することなら、何でも話し合ったものだ。私は、フレンチオークの代わりにアメリカンオークを使うという考えに大いに興味をそそられており、当時チリではチリ産のオーク材、すなわちチリで育ち、伐採されたものを使っていた。その頃までにフィリップは、私が将来のことを考えていて、どこかの時点でカリフォルニアへと戻り、そこでワイン造りをするのを承知していた。フィリップは、ボルドー大学で醸造の学位論文を、ワインの樽熟成について書いたと教えてくれた。その論文のなかで言及した最も重要な研究は、1900年ヴィンテージ(大変に優れた年)を用いてボルドーで行われたもので、というのも19世紀のフランス人は、オーク材への関心が今よりもっと高かったからである。ボルドー大学の醸造研究所は、6種類の異なる産地のオーク材を用いた樽を用意し、そこに当時の一級シャトー4銘柄(ラトゥール、ラフィット、マルゴー、オー・ブリオン)と、別のシャトー2銘柄のワインを注ぎ入れた。これらの樽に入った1900年ヴィンテージのワインは、当時の標準であった2年半から3年のあいだ、熟成させられることになる。

それだけの歳月を樽で過ごしたのち、ワインは瓶内でさらに7年間熟成させられ、そのあとで分析と官能試験がなされた。研究者たちが事前に想定していたのは、ボルドーのそれぞれの地域(グラーヴ、マルゴー、ポイヤック)、あるいはそれぞれの地域内の個別の場所に適した理想的なオーク材が、存在するだろうということだった。すなわち、とあるシャトーにはとあるオーク材が好ましく、ほかのシャトーにはほかのオーク材が向くという結果である。

だが、実際に判明したのは、統計的に最上のオーク材が存在することに、研究者たちが合意したという事実であり、そのオーク材は、すべてのシャトーのワインにとって最上であった。偏差は非常に小さく、とあるシャトーで2番目に好ましいという結果でも、ほかでは1番であるといった具合である。実際のところ判明したのは、ラトビアのリガという産地で伐採されたヨーロッパ産のオーク材が、最も好まれたということだ。

2番目に好まれたのが、たしかリューベック産で、やはりバルト海沿岸の産地、ポーランドとドイツの国境近くの地域である。3番目も同じくバルト海沿岸、ポーランドのシュチェチンであった。第4位がアメリカ産のホワイト・オークで、第5位がボスニア産のユーゴスラビアンオーク。最下位だったのが「中央フランス産」で、これはフランス系の樽製造業者が自国ではもちろんのこと、カリフォルニアでも主に用いている樽材である。「中央フランス産」と言った場合、そこにはヌヴェール、トロンセ、アリエおよび近隣の地域が含まれる。

フィリップの勧めとこの研究結果により、私はアメリカンオーク材を試してみることにし、結果として品質がよければ使い続けることにしたのである。

2013年6月以前のコラムはこちらから