連載コラム Vol.323

ポール・ドレーパーが語る「哲学とワイン」

2018年2月15日号

Written by 立花 峰夫

リッジで1969年から2016年まで最高醸造責任者を務めたポール・ドレーパー(現会長)は、大学時代に哲学を修めた数少ない醸造家のひとりである。以下は、1994年に『ワイン・スペクテイター』誌が行った、哲学とワイン造りをテーマにしたインタヴューの抜粋である。

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「私が哲学を専攻していたことは、ご存じかかと思います。私はまた、物事やその象徴体系の背景にある理にも興味をもっていました。私がワインに引きつけられた理由のひとつが、それが西洋文明の強力な象徴でありつづけてきたことなのは、疑いないことでしょう。西洋世界で最も重要ないくつかの宗教において、儀式の一部になってきたのです。ワインは数千年にわたって、物心両面における生成変化の中心的象徴でありました。

ほかの醸造酒と異なり、ワインはブドウから造られます。完熟したブドウの中には、自然にワインが生まれ出るために必要な、すべての要素がそろっているのです。

ビールの場合は事情が異なっていて、穀物から糖分を引き出してやらねばなりません。文明の曙にあっては、口に入れて噛むことで、口内にいる酵母を加えて発酵させていました。最初の頃、ビールはそんなふうに造られていたようなのです。今日では、穀物に熱を加えたうえで、培養酵母を添加しています。つまり、ビール造りにおいてアルコール発酵を生起させるには、人間が必ず必要なのです。蒸留酒はといえば、もちろん完全に人手によるもので、蒸留という工程を経ねばなりません。

ワインでは、ブドウ畑にあるブドウの房を使います。ブドウの中では糖分と酸味のバランスがしっかりとれていて、十分な量の糖があります。そのため、変質が起きない、安定した健全な飲料になるのに必要なアルコールを得ることができます。天然の酸も十分にあるので、その味わいが生き生きとした趣深いものとなります。

ブドウの果皮の部分は、埃のような物質でコーティングされているのですが、これは母なる自然が意図的に設けたものだと言えましょう。果皮を磨き上げれば、この物質を取り除くことはできますよ。この物質は、果粉(ブルーム)と呼ばれるものです。ブドウ畑に風が吹くと、自然の中(木や土壌、腐敗果など)で増殖している天然酵母が空気中にまきあがり、ブドウの果粉に付着します。収穫されたブドウを容器に入れて破砕するか、あるいは破砕せずとも自然に皮が破れるまで放置しておけば、果皮についた酵母が果汁中の糖分に襲いかかるようになります。人がいかなる手助けをしないでも、ワインは出来上がるのです。どれだけ美味しいワインになるでしょうか? そこではじめて人が登場します。人が、ブドウがワインに変わるにあたり、世話をしはじめるのです。ブドウの中には、ワインが生まれるために必要なあらゆる要素が含まれています。ワインが生成変化の象徴となったのは、こうしたわけなのですよ。ブドウは単純な味ながらも美味な果実ですが、自然のプロセスを経ることにより、エキゾチックで刺激的、かつ途方もなく素晴らしいワインとなることができます。ワインが象徴する、この生成変化があまりに驚異的なので、西洋文明の歴史とともに長年歩み続けることができたのです。

我々が天然酵母を使う理由はここにあります。男や女といった我々人間が、この例において自然をほんとうに改変できるでしょうか。ワインをほかのあらゆるアルコール飲料と隔てているこの象徴に、しがみついているべきではないでしょうか。ワインを特別なものにしていて、単なる酩酊を誘う酒や、薬などと隔てているこの象徴に。なぜ私が天然酵母にこだわっているかと問うならば、それが私のすることに意味を与えてくれるからだと答えましょう。私は運転席に座る者ではなく、生起する自然のプロセスを手助けしているにすぎません。どうワインに接するべきかという自分自身の、また自分のチームの経験を用いながら、畑を選び、ワインをじっと見守ってやります。とはいえ、ワインはある意味ひとりでに生まれてきますからね。単なる日用品をただ作るよりも、ずっとそのほうが面白いのです」

ポール・ドレーパー

「カリフォルニアの醸造家が語る歴史シリーズ:リッジ・ヴィンヤーズの歴史とワイン造りの哲学:1970〜1990年代」より抜粋
インタヴュアー:ルス・タイザー、1994年

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