連載コラム Vol.295

エリック・ボーハーへのQ&A その1

2016年12月15日号

Written by 立花 峰夫

今夏、ポール・ドレーパーの退任に伴って、モンテベロ・ワイナリーの醸造責任者兼COOに、エリック・ボーハーが就任した。以下は、アイトール・トラバードが、自身のブログであるミ・アミーゴ・エル・ヴィーノに発表するために行った、エリックへのインタヴューの抜粋である(ブログ記事は今年9月に発表)。これから3回に分けて、この興味深い問答をお届けしていこう。

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――おはようエリック。今回は時間を割いてくれてありがとう。あなたは、カリフォルニアで最も高く評価されるワインのひとつ、リッジ・モンテベロを造っているよね。このワインの秘密は何かな?

石灰岩の下層土、標高、海に近いことが完璧に組み合わさっているおかげで、モンテベロは本当に、他に類を見ない畑になっている。これほど際立ったワインを造ろうと思うと、土が良いだけではダメで、ほどよく冷涼な気候も必要なんだ。ブドウ栽培についての腕も相当にいる。ウチの栽培家たちは、山の急斜面でどうやって有機栽培をやればいいかを知り抜いている。連中が、高品質な果実を入念に生み出してくれなかったなら、最高のワインを仕込むための原料を手にすることなどできないさ。醸造面について言うと、発酵をうまく導いてやることを除き、人為的介入はしない。すべての判断は味によって下していて、すなわちいつ摘むか、抽出のためにどれだけのポンプ・オーヴァーをするか、いつ搾るか、どのプレス・フラクションを加えるかなどだ。70ほどもあるロットがそれぞれ発酵を終えたら、樽に入れて天然乳酸菌でのマロラクティック発酵へと進む。5ヵ月が経った頃、自分の役割の中で最も重要な側面である、最初のアッセンブリッジ(ブレンド)を行って、その後に2度目のアッセンブリッジが続く。アッセンブリッジこそが、モンテベロを造る上での最大の秘密なんだ。厳密なブラインドでの試飲によって、モンテベロらしさを強く見せている区画を選び出すんだよ。そのあとも、ひとつずつ新しい区画を足しては注意深く試飲をし、モンテベロを形作っていく。非常に複雑な工程で、異なるブレンドになる可能性が無数にある。いよいよブレンドが完成したと思ったら、過去10年のヴィンテージと、ブラインドで利き比べてやる。それぞれの年の個性は見えるものの、モンテベロに共通する縦糸が、すべてのグラスに見て取れるんだよ。

――モンテベロの畑では、ほかにメルロのワインと、シャルドネも2銘柄造っているよね。こうした品種はこの畑でどんな具合なんだい?

畑の方位や標高によっては、メルロやシャルドネといった品種も、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、プティ・ヴェルドと同じぐらいにうまく育ってくれる。特にこの2品種には、熟すのが早いという特徴がある。実際、リッジのシャルドネは通常、14%台のアルコール度数になるからね。主にはクローンのせいで、光合成を効率的に行うことで、糖分を蓄積して風味成分へと変えているんだ。最近新しく植えているシャルドネの区画には、古い伝統的なカリフォルニアのクローンを使っているんだけど、そこは標高が高く、冷たい生みからの影響を受ける場所でね。いずれは、もっと早くブドウを摘み、アルコールの低いワインを造るのに役だってくれるだろう。メルロのほうは、13.5%で完熟してくれることが多い。最良の区画は、標高700〜810メートルの場所にあって、しばしばモンテベロにブレンドされている。より肥沃な土壌に植わる標高の低い区画からは、柔らかく若いうちから飲みやすいメルロが生まれ、こちらが別途、「エステート・メルロ」の名で瓶詰めされるんだ。

――このワイナリーで造られるワインの旗艦はモンテベロだけど、ジンファンデルのほうが銘柄数も多いし、畑の面積も広いよね?

そのとおり。モンテベロは、リッジが1962年に最初に仕込んだワインなんだ。一方、最初のジンファンデルも、19世紀に植えられて禁酒法を生き延びた、モンテベロ・ロードという道沿いの小さな区画のブドウで造られた。リッジの創設者たちは、このジンファンデルとカベルネと同じように扱ったのさ。すなわち、十分な抽出をして、禁酒法以前に人気があったような、豊潤なスタイルのジンファンデルにしたわけだ。(1800年代に植えられたジンファンデルを除き、すべてのブドウ樹が禁酒法の間に失われていた)モンテベロの畑を植え直すにあたって、リッジには現金が必要だった。そこで、州内のほかの場所でジンファンデルの畑を探すことにして、収穫したブドウから単一畑のワインを造ったんだ。1960年代、ジンファンデルは消費者受けがよくなかった。生き残ったジンファンデルの畑を持つ栽培家たちは、果実を買ってくれるワイナリーを見つけるのに苦労していた。買取り価格は低く、需要もなかった。ジンファンデルは、地面から引き抜かれ、他の品種に植え替えられようとしていたんだよ。だが、リッジはこの品種に、その歴史に、畑の個性を表現する能力に心を奪われた。過去50年にわたり、リッジでは50以上もの異なる畑から、単一畑名を冠したジンファンデルを生産してきている。ジンファンデル・アドヴォケイト・アンド・プロデューサーズ(ZAP)という団体は、リッジ、レイヴェンズウッド、ローゼンブルムの3生産者が1991年に設立したものなんだ。ZAP、中でもリッジは、カリフォルニアの歴史上重要なこのブドウが、人気を取り戻すのに貢献してきた。

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