連載コラム Vol.284

パリ・テイスティング40周年

2016年6月30日号

Written by 立花 峰夫

先日、2016年5月24日は、伝説のパリ・テイスティング、別名「パリスの審判」からちょうど40周年だった。リッジも深くかかわったこの歴史的事件、いまだに神話作用は失われていないようで、欧米のメディアはこぞって特集・回顧記事を組んだ。伝説を創ったキー・プレイヤーたちのうち、シャトー・モンテレーナのジム・バレットだけは数年前に鬼籍入りしてしまったが、仕掛人のスティーヴン・スパリュア、スクープを報じたTime誌の元記者ジョージ・テイバー、スタグス・リープのワレン・ウィニアルスキー、モンテレーナの当時の醸造責任者であったマイク・ガーギッジ、そしてリッジの総帥ポール・ドレーパーらはまだ健在である。今にして思うと、パリ・テイスティングとは、夢以外には何も持たない若者たちが、「伝統」というゴリアテに果敢に挑戦し、勝利を収めた物語だったのだと思う。

カリフォルニアワインの生産者団体、ワイン・インスティテュートのウェブサイトによれば、パリ・テイスティングの前年である1975年、カリフォルニア州にはわずか330のワイナリーしかなかった。それが約40年後の2014年、カリフォルニア州のワイナリー数は4,28もあり、10倍以上に増えていることになる。1976年のパリ・テイスティング当時、1位になったスタグル・リープ・ワイン・セラーズのカベルネSLVは1本5ドルほどの価格だったが、いまでは現地小売が135ドルになっている(日本での実勢価格は2万円前後)。

この40年、カリフォルニアでは実にいろんなことがあった。フィロキセラやピアス病の流行、ロバート・パーカーの影響力拡大と凋落、カルト・ワイン・ブーム、環境問題、近年では温暖化の影響と干魃などなど。ワインのスタイルについては、1990年代半ばから濃厚な方向へと全体が大きくスイングし、今はより穏やかなスタイルへと戻りつつある。そうした移り変わりの中で、パリ・テイスティングで主役を張ったほとんどのワイナリーが、いずれも「昔風のスタイル」を頑なに守り続けてきたのは実に興味深い。かつてのアンファン・テリブルたちは、転向を拒み続けたことによっていまや「古典」となったのだ。
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