連載コラム Vol.264

ツールイェナック・カシュテランスキーの植樹

2015年8月14日号

Written by 立花 峰夫

金曜日にはいいことがあると人は言う。どうしてかと問われれば、新たなブドウが大地に向けて歩み始めた日だからだと答えよう。

ブドウとはツールイェナック・カシュテランスキー Crljenak Kasteljanskiのことで、発音の難しいこのブドウは、歩んできた道のりも発音と同じぐらい込み入っている。ご存じのとおり、ツールイェナックとはジンファンデルであり、ジンファンデルとはツールイェナックである。ややこしいことに、ツールイェナックはまた、プリビドゥラッグ Pribidrag やトリビドゥラッグ Tribidrag とも呼ばれるし・・・・・・ついでに言えばプリミティーヴォ Primitivo の名もある。すべてがこのブドウの異名なのだ。どの名前が使われるかは、世界のどこの場所かによって決まる。とはいえ、かなり最近になるまで、全部が同じブドウだとはわかっていなかった。相当長いあいだ、ジンファンデルはアメリカに起源があると思われていたのだ。そののち、イタリアのプリミティーヴォがそのルーツだと考える人々が現れたのだが、最終的にはクロアチアのダルマチア海岸地域に源があると判明する。1990年代後半から2000年代前半にかけて行われた、何年にもわたる徹底的な調査を通じてわかったことだ。リッジも、この発見のプロセスに密接に関与していた。

2003年夏に刊行されたリッジのニュースレターにおいて、ポール・ドレーパーは次のように語っている。

「リッジでは、その設立当初からジンファンデルの起源を調査してきた。この品種がアメリカ東海岸にもたらされたのは1820年代で、ウィーン近郊のクロスターノイブルグにある王立植物園から来たのが最初にわかったことだ。当時、この植物園にはオーストリア=ハンガリー帝国のあらゆる場所から植物が集まってきていた(後に続く話の参考として言うと、クロアチアはこの帝国に属していた)。だがここまでで、我々の研究は行き詰まってしまう。一方で、ジンファンデルにそっくりなプリミティーヴォという品種を、UCバークリーのゴヒーン博士が南イタリアで発見していた。UCデイヴィスのオルモ博士がさらに調査をしたところ、ジンファンデルと同一種だということが分かる。しかしオルモ博士の研究員は、イタリアの年配の栽培家たちが、プリミティーヴォのことを「外来品種」と言っていることを報告していたのである。

1998年には遺伝学者のキャロル・メレディス博士(UCデイヴィス)が、クロアチアのプラヴァッツ・マリという品種をジンファンデルと同一種だとする主張について、調査を行った。ザグレブ大学の科学者二人との共同研究の末に、彼女はその仮説を退けるが、DNA鑑定の結果、二品種が持つ遺伝子の半分が同一であることが確認された。明らかに、プラヴァッツ・マリはジンファンデルと親戚関係にある。2001年の晩秋、クロアチアの研究者たちは、ツールイェナック・カシュテンランスキーという品種名を持つ1本のブドウ樹を見つけ、それがジンファンデルと同一種であることを証明した。2002年秋の時点で、一つのブドウ畑で見つかった合計8本の樹が同じものだと確認されており、その他にも有力な候補が数本、現在調査を受けているという。

2002年6月には、この二人のクロアチア人研究者を訪ねてカリフォルニアから使節団が派遣されたが、リッジは他のワイナリーとともに援助を行っている。我々はまた、クロアチアにおいてこの研究が継続されるための資金調達も行った。当社副社長・栽培責任者のデイヴィッド・ゲイツも、2003年夏に現地に赴いている。」


同じニュースレターの中で、デイヴィッド・ゲイツも次のように記す。

「クロアチアで最も有名になったブドウ樹の傍らに立つのは、妙に浮世離れした経験であった。私の側には、ブドウ樹のオーナーであるイヴェッサ・ラドゥニッチに、発見者であるザグレブ大学のエディ・マレッチ博士とイヴァン・ペジェッチ博士。「ツールイェナック・カシュテランスキー」と呼ばれるこの品種は、疑いなくジンファンデルそのものであり、竪琴の形に丸くカーブした葉の切れ込みと、その葉を覆う綿毛がその事実を如実に物語っている。6千本のブドウ樹が植わるこの畑から見つかったツールイェナックはわずかに8本、それはイヴェッサの祖父が混植した樹の名残である。エディとイヴァンは、クロアチアのダルマチア海岸こそがジンファンデルの生まれ故郷だと信じており、その説の証となる事実をその後も発見してきている。

件の畑に生えるツールイェナックから40キロ南に下った場所でも、2カ所からジンファンデルと遺伝的に同一の樹が見つかった。オミッシュの上方に広がる山間の谷の端には石造りの家があり、その周辺の庭園に植わる5本の古いブドウ樹がそれだ。「プリビドゥラッグ」という名で呼ばれ、現在は生食用に仕向けられている。歴史的には「トリビドゥラッグ」の名で知られる品種だ。この場所でも、かつてはもっとたくさんのプリビドゥラッグが栽培されており、そこから造られたワインは100年前には有名だったのに、そのあと畑が打ち捨てられてしまった。高地にあるこの懸谷から、灰色の石灰岩に覆われた山々を跨ぎ越してまっすぐ南に下っていくと、アドリア海沿いにあるメメチャの町に着くのだが、その場所でも少なくとも10本のプリビドゥラッグが栽培されている。アドリア海沿岸地域では、この品種名を持つワインが1300年頃から名声を博していたという。それは、ジンファンデルと同じようなワインだったのだろう。

8年間に及ぶ研究の中でエディとイヴァンは、ジンファンデルと遺伝的関連を持つダルマチア海岸の品種を、ほかにも多数発見してきている。中には、数多くの重要な古代品種と、そこから派生した品種がいくつか含まれており、今日ダルマチアで広く栽培されている「プラヴァッツ・マリ」や「バビッチャ」もその一部である。これらの関連品種が相当な数に上るという事実は、ジンファンデルがたとえクロアチア原産ではなかったとしても、世界のこの場所で何百年間にもわたって存在してきたことを示している。

600年前に、ジンファンデルがトリビドゥラッグの名で有名だったとして、何故この品種は現在ほとんど絶滅に近い状態になっていて、プラヴァッツ・マリやバビッチャなど他の品種が代わりに植わっているのだろうか。原因は、ジンファンデルの大きくて果汁の多い果粒と、薄い果皮にある。夏から秋にかけて降雨のあるヨーロッパの気候下では、この品種は病気やカビ害に極めて冒されやすいのである。今日のダルマチアで、最大の栽培面積を誇る赤品種はプラヴァッツ・マリだ。こちらはジンファンデルから生き生きとした果実の個性こそは貰ったものの、ひ弱な果皮については受け継がなかった。カビへの抵抗性を持つだけでなく、適度な酸と多量のタンニンを含む品種なのだが、暖かい産地のワインではその性質が必須なのだ。扱いやすく、かつワインの味も良いようなブドウを栽培家は常に探しているもので、プラヴァッツ・マリはうってつけだったのである。エディとイヴァンの説によれば、プラヴァッツ・マリが「発見」されたのは200年から300年前のことで、これはボルドーでカベルネ・ソーヴィニョンが「発見」されたのとほぼ同じ時期になる。ワイン用ブドウが畑で良い結果を出し、そのワインが世間で認められるようになれば、当該地域の代表品種となるまでには1世紀もかからない。

では、何故ジンファンデルはカリフォルニアでこれだけ成功したのか。それは、カリフォルニアがほぼ完璧な気候条件、すなわち雨が降らず日照にも富む夏と秋に恵まれているからに他ならない。ジンファンデルといえども秋に雨が降らなければカビに冒されることはなく、幸運なことにここでは秋には雨がほとんど降らない。適度な酸味と色を備えた、高品質なブドウを豊富に収穫できるのである。ジンファンデルはまた、信じられないほど多才なブドウで、ロゼ、軽い赤から重厚な赤、遅摘みの甘口から酒精強化に至るまで、多種多様で質の良いワインを産している。最後に、皆様もよくご存知であろうことを付け加えるならば、この品種に適した畑に植えられ、ワイナリーでも腕の良い生産者が手がけたジンファンデルは、華麗にして豊潤、かつ果実味に溢れるワインになるのである。同じものは、世界中探したとしても見つからない。」


しかしながら、「研究」がその時に終わったわけではなかった。2005年にデイヴィッド・ゲイツは、ツールイェナックとプリビドゥラッグの穂木をアメリカに持ち込む試みを始めたのだ。目的は、アメリカのジンファンデルの穂木、イタリアのプリミティーヴォのクローンと隣り合わせに植えて、それぞれが同じ場所でどう育つかを確かめることである。リッジではUCデイヴィスにある植物公益局(FPS)を通じて上述の穂木を輸入したあと、長期間にわたるウィルス除去を行ってきた。そして2015年7月17日の金曜日、10年もの歳月を要したこのプロセスが完了の日を迎える。かくして、リットン・スプリングスの自社畑西側にある第18区画に、ブドウ樹が植え付けられた。知る限りにおいて、アメリカ合衆国でこのクロアチア産の穂木が、実用栽培された初めての例になるはずである。

かくして新たな研究が始まった。歴史あるクロアチアのブドウは新しい土壌で育ち始め、その傍らにはアメリカとイタリアの仲間がいる。
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