連載コラム Vol.242

ポール・ドレーパー来日セミナー2014 その4

2014年9月16日号

Translated by 立花 峰夫

2014年3月、リッジのCEO兼最高醸造責任者であるポール・ドレーパーが7年ぶりの来日を果たした。以下は、3月26日に東京青山のアカデミー・デュ・ヴァンで行なわれた講演の記録である。(全5回中の第4回)

<テイスティング>
●Geyserville 2010
●Lytton Springs 2011
次に試飲頂くのは、ジンファンデルの赤ワイン2銘柄です。リッジが創設されてから最初の2、3年は、カベルネとシャルドネのワインしか生産していなかったのですが、この頃の創設者たちは、打ち捨てられたままになっていたモンテベロの他の区画についても、再度ブドウを植えることを始めていました。創設者たちは研究所での仕事という本業を持っていましたが、今日ほど高給の取れる仕事ではありませんでしたから、ブドウを植え続けるための費用を捻出する必要があります。しかしながら、販売可能なワインの量はごくわずかでしたから、費用捻出は簡単ではなかったのです。そこでまず、モンテベロの自社畑以外の畑から、品質の高いカベルネのブドウを買えないかと考えました。1960年代前半の話です。

当時から1970年代にかけて、ナパ・ヴァレーで最も多く生産されていた品種は、カベルネではなく、ペティト・シラーと呼ばれる黒ブドウでした。ジンファンデルは、ペティト・シラーに次いでの2位で、カベルネは3位。よって、創設者たちが見つけられたカベルネは、既に成木になったモンテベロのカベルネと比べて、ずいぶん樹齢の若い、最近植えられたばかりのものでした。モンテベロのカベルネは、今では樹齢65年ほどになっていて、カリフォルニアで最も樹齢の高いもののひとつでしょう。モンテベロ以外にも、少数ながら樹齢の高いカベルネの畑はあったのですが、すでに他のワイナリーにブドウを供給していて、創設者たちが買い付けることはできませんでした。

他所からカベルネを買うことは断念した創設者たちが代わりに見つけたのは、1880年代に植えられた古木のジンファンデルでした。最初はモンテベロの麓にあった畑で、次にはソノマ郡のガイザーヴィルの畑でそうした古木が見つかりました。禁酒法の時代に引き抜かれたり打ち捨てられたりせず、生き残ったブドウ畑の実に98%がジンファンデルだったのです。ジンファンデルのワインは、若いうちから魅力的かつ複雑なものになるので、畑の所有者が引き抜きたがらなかったのですね。禁酒法の時代も、家庭での自家醸造は認められていて、一家族につき4樽までワインを仕込むことが許されていました。外部に売ることは禁止されていましたが、ワインを自宅で造ること自体は認められていたのです。禁酒法時代、家庭醸造にジンファンデルが用いられていたおかげで、畑が生き残りました。
リッジで初めてジンファンデルのワインが少量ながら生産されたのは、1964年のことです。19世紀末に植えられた畑で、今では樹齢が100年を優に超しています。次は1966年で、ガイザーヴィルの畑からジンファンデルを造りはじめ、それ以来毎年生産を続けています。1990年にはこの畑の耕作権を獲得し、自社の栽培チームで高い水準の管理ができるようになりました。ガイザーヴィルの畑で最も古い樹は、1880年代に植えられたものです。段階的に植え替えをしてきているので、畑全体の平均樹齢は、現在50年ほどでしょうか。ガイザーヴィルの畑からは、リッジがつくる二枚看板的なジンファンデルのひとつが生まれており、もうひとつはリットン・スプリングスの畑です。話が長くなりましたが、リッジがジンファンデルを造りはじめたのは、こうした訳でした。

リッジで私はこれまで、50を超えるジンファンデルの畑からブドウを買ってきました。すべて、樹齢は60年〜80年という古木の畑です。1年だけで生産しなくなった畑もありますし、15年、20年と続けたものもあります。そうした多数の畑の中から、「ひとりでに優れたワインになる」畑を、私たちは選んできました。ワイナリーであれこれ人間が手を加えなくても、優れたワインになる畑をです。

ジンファンデルの歴史をここでご説明しておきましょう。このブドウは1920年代はじめに、オーストリア=ハンガリー帝国のウィーンにあったブドウ研究所からアメリカ東海岸にもたらされました。そのあと、ゴールドラッシュの頃にカリフォルニアにも入ってきて、1850年代に栽培面積が広がっています。さて、1970年代か80年代のことだったと思いますが、カリフォルニア大学バークレー校の教授が南イタリアを旅していたときに、プーリア州でジンファンデルにそっくりのブドウを見つけました。教授は苗木のサンプルをアメリカに持ち帰り、初期のDNA鑑定を行ってみたところ、遺伝子がジンファンデルと同一だという結果が出ます。教授はふたたちプーリアに赴き、できるだけ多数の年配のブドウ栽培家から話を聞いてみたのです。その結果を大学院生がまとめて発表したのですが、年配のブドウ栽培家の典型的な答えとは、「この品種は外来種で、イタリアの土着品種ではない」というものでした。プーリアでこの品種は、プリミティーヴォと呼ばれています。

結局、この時点ではまだジンファンデルのルーツは不明ということになったのですが、オーストリア=ハンガリー帝国のどこかに起源があるだろうとは皆が考えていました。そのあと、今から20年ほど前ですが、カリフォルニアで働くクロアチア出身の醸造家が帰郷した際に、同国で最も人気のある黒ブドウ品種を目にしました。プラヴァッツ・マリというブドウです。その醸造家は、「これこそジンファンデルと同じ品種だ」と考え、『ワイン・エンスージアスト』という雑誌でその考えを発表しようとしました。私は、「DNA鑑定の結果が出るまで、発表は待ったほうがいい」と忠告したのですが、結局そのまま発表されてしまっています。そのあと、カリフォルニア大学デイヴィス校のキャロル・メレディス教授がDNA鑑定を行ったところ、プラヴァッツ・マリはジンファンデルと同じ品種ではないと判定されました。

とはいえ、ジンファンデルと共通している遺伝子が、プラヴァッツ・マリにはひとつかふたつ見つかりましたので、ザグレブ大学の教授二人に、クロアチアでジンファンデルの樹が見つからないか調査してもらうことになったのです。リッジもこの調査に際し、財政的な支援を行なっています。その結果、今日までに約20の株が発見されました。加えてクロアチアでは、ジンファンデルだけでなく、遺伝的に親戚関係にあるブドウが多数見つかったのです。一方、プーリアでは、ジンファンデルと遺伝的に近い品種はひとつもみつかっていません。18世紀の終わり頃、プーリアに移住してきたクロアチアの修道僧たちがいることがわかっていますから、おそらくこの僧侶たちがクロアチアからジンファンデルを持ち込み、栽培を始めたのでしょう。

クロアチアはダルマチア海岸沿いの国で、12〜14世紀にはヴェネツィア共和国の統治下にあったのですが、ヴェネツィアの公文書保管所に残っていた記録から、この品種がもともとクロアチアではトリビドラグと呼ばれていたことがわかりました。14世紀当時、共和国で造られヴェニスに持ち込まれる赤ワインの中で、最も重要なのがこの品種のものだったとその記録には述べられています。ジンファンデルは、クロアチアという国で1000年もの歴史を持っていたのでした。一方、カベルネ・ソーヴィニョンは、カベルネ・フランとソーヴィニョン・ブランの自然交配によって生まれた品種で、1820年代のボルドーで誕生したと推定されています。つまり、ジンファンデルのほうがカベルネ・ソーヴィニョンよりもずっと歴史が長いのです。これがジンファンデルというブドウのバックグラウンドになります。

試飲していただいているのは、2010年のガイザーヴィルと、2011年のリットン・スプリングスです。この二つのヴィンテージはともに、ブドウ生育期間の温度がとても低かったのでした。地球温暖化という現象は、アメリカの太平洋岸、カリフォルニア州とオレゴン州には必ずしもあてはまらないように思われます。2009年も比較的温度の低い年でしたが、2010年と2011年はその傾向が顕著で、少なくともこの20年間で一番涼しい年だったように思われますから。今後も気温が上昇していくだろうと予想されていますが、かなりの気温上昇がありそうなカリフォルニア内陸部と比べて、カリフォルニアの沿岸部は若干の温度上昇で済みそうです。モンテベロは、太平洋から25キロしか離れておらず、山の頂上の畑からは海が見えます。さて、気温もこの先上昇してはいくのですが、近年の気候変動において最も著しいのは、その変化の幅なのです。皆様もご存知だと思いますが、今年アメリカ東部と中西部は、恐ろしいほどの寒波と雪に見舞われました。一方、カリフォルニアでは旱魃が丸2年以上も続いています。気候全般が、以前と比べて不安定になっているのです。

リットン・スプリングスで一番古い樹は、1902年に植えられましたから、今では樹齢112年です。ガイザーヴィルの畑の土には、ボルドーで「カイユー」と呼ばれる川石が多く含まれています。リットン・スプリングスも石の多い土壌ではありますが、少し粘土の含有量が多くなっているので、その結果としてワインのタンニンが若干増し、より土っぽい味わいになります。性差別主義者だと言われるのを承知で申し上げると、リットン・スプリングスは男性的、ガイザーヴィルは女性的といえましょうか。ヴィンテージが異なるとはいえ、この二種のワインはとてもよい比較になります。2010年のガイザーヴィルと、2011年のリットン・スプリングスに見られる違いは、これらふたつのワインのどの年を取って比べても、典型的に見られるものです。リッジにとって、このふたつが最も複雑なジンファンデルなのです。

2010年と2011年の違いをご説明しましょう。2010年の生育期間は、先ほども申し上げたように非常に気温の低いものでした。しかしながら、ブドウの色付き(ヴェレゾン)の直前に、突然2日間の強烈な熱波に襲われたのです。色付きの後であれば、あるいは色付きの前でも例年のようにもう少し気温が高かったならば、ブドウがそれほどのダメージを被ることはないのですが、この年は違いました。それまで気温が非常に低かったため、少しでも太陽を房にあてようとして、畝の西側について除葉を行なっていたためです。その結果、温度が高くなる畝の西側に成った房は、ほぼすべてが熱波の2日間でダメになってしまいました。ジンファンデルの生産量のうち、半分も失ってしまったのですが、これはリッジの歴史上初めてのことでした。リッジだけでなく、カリフォルニアの北西部地域――ナパ、ソノマ、メンドシーノでは誰もが同じ被害にあっています。こうしたわけで、2010年のジンファンデルの生産量は激減してしまいましたが、ダメージを受けた果実をすべて切り落としたので、残った果実がその後回復した天候の中でしっかり熟しました。おかげで、品質面においては、2010年も素晴らしい年になっています。

2011年もまた気温の低い年でしたが、2010年のような問題は起きなかったため、おおむね平年並みの収量をあげることができました。とはいえ、15%ぐらいは量が少なくなっています。品質については、選別を注意深く行なう限りにおいて、優れたものになりました。
ヴィンテージこそ違いますが、このふたつのワインを比べていただくと、リットン・スプリングス2011のほうには土っぽさ、よりしっかりとした骨格を感じられるかと思います。さて、これまでの話で触れてこなかったのですが、こうした19世紀に植えられた古いブドウ畑では、ジンファンデルにまじって通常3種、場合によってはそれ以上の数の別の品種が植えられているのです。私たちが長年ジンファンデルを仕込んでいるうちに気付いたのは、ジンファンデル100%のワインと比べて、ジンファンデル主体で他に数品種がブレンドされているワインのほうが、熟成するうちに複雑さを増すということでした。ボルドーにおいては(リッジでもそうしていますが)、カベルネ・ソーヴィニョンに、メルロ、カベルネ・フラン、プティ・ヴェルドをブレンドして複雑性を得ています。ジンファンデルにおいては複数品種混植の畑によって同じ効果が得られているのです。

混植されている品種のひとつ、ペティト・シラーは、かつてナパで最も広く栽培されていたとさきほどお伝えしました。この品種も以前はその起源が分からなかったのですが、DNA鑑定の結果、シラーと南仏の品種ペルールサンの自然交配によって生まれたことが判明しています。交配が発生したのは1820年代のいつかで、その後ローヌ南部、ラングドックで栽培されるようになり、そうした畑はわずかながら今も残っています。カリフォルニアにこの品種がもたらされたのは、1870年代のことです。シラーは、その8年前に輸入されていました。その当時、主力品種だったジンファンデルに、シラーをブレンドしてみようと試みられたのですが、結果ははかばかしくありませんでした。しかしながら、シラーに近い品種であるペティト・シラーについては、色や骨格の増強という点において、ジンファンデルの理想的な伴侶となったのです。

もうひとつの補助品種であるカリニャンは、古いスペイン原産のブドウで、ペティト・シラーに先立つこと100年前に、南フランスにもたらされました。ガイザーヴィルの畑に植わるカリニャンのうち、最も樹齢の高いものは120年になります。カリニャンは、ジンファンデルやペティト・シラーと比べて酸味が強いのが特徴です。ジンファンデルは、酸味の強さにおいては中庸の品種で、シラーほど酸味が低くはなりませんが、さほど強いわけでもありません。カリニャンは、それがブレンドされるワインに対して華やかな果実味とエレガンスを与えてくれます。

ジンファンデル主体のワインでは、ペティト・シラーとカリニャンをブレンドするのが最良の結果を生むのです。
(次回に続く)
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