Written by ポール・ドレーパー
1967年にリッジは、モンテベロにある別の19世紀植樹の区画から、ジムソメア・ジンファンデルを生産した。同じ年には、パソ・ロブレスのベニート・ドゥージー農園からも初めてジンファンデルを仕込んでいる。1969年にはロダイ地区のジンファンデルをいくつかと、ソノマのフルトンにある畑からもブドウを買った。私がリッジに入ったのもこの年で、初めてジンファンデルに霊感を受けたのは1969年のピケッティ農園のものだった。モンテベロの畑が私をリッジへと引き寄せたのだが、優れたジンファンデルの果実味の深さと複雑性を見出してからは、愛情の対象が二つに増えている。
1970年から4年間は、19世紀に植樹されてその頃まで生き残っていた、オキシデンタル近くのモレッリ農園の果実を使ってワインを造った。1971年には、ヴィネガー・リッジにあるプロンソリーノの畑からジンファンデルを買っている。この畑はアンダーソン・ヴァレーの北にあり、現在はデュプラットという名前で知られる。私の大学時代の親友であり、チリで共にワインも造ったフリッツ・メイタグは、リッジではじめてのペティト・シラーのワイン――ヨーク・クリーク1971――に、古木の果実を提供してくれた。ヨーク・クリークは、ナパ渓谷を望むスプリング・マウンテンに位置している。その3年後には、初めてヨーク・クリークのジンファンデルを仕込んだ。
(次回に続く)