連載コラム Vol.236

1964-2014 ジンファンデルの50年 その2

2014年6月13日号

Written by ポール・ドレーパー

(前回からの続き)
1年後に発売されたそのワインは成功を収める。その時までに、創設者たちはレオとイヴリンのトレンタデュー夫妻との交渉を始めていた。夫妻は、トーレの地所の上方に50エーカーの土地を所有していて、そこには古いワイナリーの建物が含まれていたが、生きたブドウ樹は残っていなかった。夫妻はその頃、サンタ・クララ・ヴァレーにあった果樹園を売却したばかりで、ブドウを栽培しようとソノマに引っ越したところだった。創設者たちは夫妻に、もう使われなくなっていた建物――築80年のモンテベロ・ワイナリーを売ってくれるように頼んだ。その過程で1966年に、夫妻が育てる古木のジンファンデルを、いくらか買うことになったのだ。それが、我々による初めてのガイザーヴィルである。

1967年にリッジは、モンテベロにある別の19世紀植樹の区画から、ジムソメア・ジンファンデルを生産した。同じ年には、パソ・ロブレスのベニート・ドゥージー農園からも初めてジンファンデルを仕込んでいる。1969年にはロダイ地区のジンファンデルをいくつかと、ソノマのフルトンにある畑からもブドウを買った。私がリッジに入ったのもこの年で、初めてジンファンデルに霊感を受けたのは1969年のピケッティ農園のものだった。モンテベロの畑が私をリッジへと引き寄せたのだが、優れたジンファンデルの果実味の深さと複雑性を見出してからは、愛情の対象が二つに増えている。

1970年から4年間は、19世紀に植樹されてその頃まで生き残っていた、オキシデンタル近くのモレッリ農園の果実を使ってワインを造った。1971年には、ヴィネガー・リッジにあるプロンソリーノの畑からジンファンデルを買っている。この畑はアンダーソン・ヴァレーの北にあり、現在はデュプラットという名前で知られる。私の大学時代の親友であり、チリで共にワインも造ったフリッツ・メイタグは、リッジではじめてのペティト・シラーのワイン――ヨーク・クリーク1971――に、古木の果実を提供してくれた。ヨーク・クリークは、ナパ渓谷を望むスプリング・マウンテンに位置している。その3年後には、初めてヨーク・クリークのジンファンデルを仕込んだ。
(次回に続く)

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