Written by ポール・ドレーパー
創設者のひとり、デイヴ・ベニオンは、1959年にこの畑から驚くべきワインを半樽分造りだした。その品質に自信を得た創設者たちは、ワイナリーを再設立し、1962年に400ケースのリッジ・モンテベロ・カベルネを商業ベースで生産している。とはいえ創設者たちは全員、ワイン造り以外に本業を持っていた。さて、ブドウの再植え付けを行っていくうちに、上述の限られた生産量から得られる収入では、畑を広げワイナリーを改良していくことなどできないとわかってくる。そこで、買えるカベルネのブドウがないかと探したのだが、当時残っていた数少ないカベルネの畑はどこも、売るブドウがないか、創設者たちの品質基準を満たしていないかのどちらかだった。
創設者たちは、週末になると畑仕事のために山道を車で登ったのだが、よく途中にあるピケッティ・ワイナリーに立ち寄って、大瓶に詰められたジンファンデルを買っていた。ここの古木も50年代末に打ち捨てられていたのだが、その前に仕込まれたワインがまだ残っていたのである。ワインには、19世紀に植えられた樹由来のしっかりしたボディと、強い果実味が見られた。生産量を増やす好機だと考えたデイヴ・ベニオンは、ピケッティ家に働きかけ、ブドウ畑を再整備して果実を買えるようにした。かくして我々は初めてジンファンデルを生産したのである。ラベルには、「リッジ・カリフォルニア・ジンファンデル1964」とだけ記されていた。 (次回に続く)