連載コラム Vol.230

モンテベロの歴史あるブドウ畑 その3

2014年2月28日号

Translated by 立花 峰夫

現在、モンテベロの自社畑となっている土地は、19世紀末から20世紀はじめにかけて開墾され、ワイン用のブドウが植えられた。その当時は所有者が四人いて、いずれも面白い人物であった。

●クライン農園 Klein Ranch
ピエール・クライン(1855-1922)はアルザス地方の出身で、カリフォルニアにやってきたのが1875年である。クラインは、サンフランシスコにあるオキシデンタル・ホテルのレストランで、長年マネージャーとして最高のカリフォルニアワインを取り扱っていた。1888年にクラインは、モンテベロの尾根に160エーカーの土地を購入する(現在、ジムソメア農園として知られている土地である)。 メドックに範をとり、優れたボルドースタイルの赤を造ろうと決意した彼は、接木せずにボルドー品種を植えた。1890年代に入ると、仕込んだ「ミラ・ヴァレ」というワインを、サンフランシスコのレストラン数軒に売り始める。1895年にはボルドー万国博覧会にワインを出品し、選外佳作に選ばれた。1900年のパリ万博では、二つの金メダルを受賞している。一つは「クラレット」という名のワインに対して、もうひとつは「グラン・ヴァン」という旗艦銘柄に対してで、後者は「アメリカのシャトー・ラフィット」と呼ばれていた。
世紀が変わると、畑がフィロキセラにやられてしまったのだが、クラインは樹を植えなおさなかった。1910年にはワイン造りから引退し、1913年には土地も売ってしまう。1936年、地所はサンフランシスコのシュウォバッチャー家によって買われ、「ジムソメア Jimsomare」にその名を変えた。名前の由来は、ジム、ソフィー、マリーという一族のメンバーに由来している。
クラインの植えたボルドー品種は枯死してしまったが、19世紀に植えられた小さなジンファンデルの畑は生き残った。リッジはそのブドウを買い、1968年に初めてジムソメアのジンファンデルを造っている。リッジはシュウォバッチャー家を説得して、ボルドー品種と少量のシャルドネを植えなおしてもらった。その引き換えとして、台木を供給した上で、ブドウの引取りを約束している。新しく植えられたカベルネから、最初にワインが瓶詰めされたのが、1978年のことである。
1990年代後半になると、シュウォバッチャー家の人々は畑の管理を望まなくなり、リッジと長期間のリース契約を結んだ。今日、リッジはクラインが拓いた土地を、モンテベロの自社畑の一部として耕作している。
(次回に続く)

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