連載コラム Vol.225

原料ラベル表示に対する欧米プレスの反応 その2

2013年12月13日号

Written by 立花 峰夫

前回に続き、リッジの原料ラベル表示に対する、欧米のワイン関連プレスの反応を御紹介する。

「ワインの原料表示にまつわる諸問題」
ザ・ワイン・スペクテイター/2013年6月6日
筆者: ハーヴェイ・シュタイマン
「ワインラベルに原料を表示することは、まこと道理に叶っているように思える。しかしながら、悪魔は細部に宿るもの。一致協力した試みが今まで何度もなされてきたし、早い例は40年前まで遡るのだが、未だに(全面的な)実現には至っていない。理由のひとつは、ワイン造りは炭酸飲料を瓶詰めしたり、シリアルを混ぜたりするのとは訳が違うということだ。炭酸飲料やシリアルでは、原料は内容物と一致しているが、ワインではそうもいかないのである。
……アメリカではリッジ・ヴィンヤーズを含む2、3のワイナリーだけが、自主的な原料ラベル表示を認める新しいルールに乗った動きを見せている。こうしたワイナリーの原料表示ラベルを、好ましいものだと私は思う。というのも、食品に見られるような単なる事実だけのラベルとは違って、ある程度の説明ができるからだ。たとえばリッジのラベルでは、ブドウが持続可能な方法で栽培され、手収穫されたこと、土着酵母が使われたこと、オーク風味が(オークチップではなく)樽熟成によってもたらされたことが語られている。いわば脱構築されたバックラベルとでも言うべきもので、悪くない。
詰まるところ、リッジはこの原料表示ラベルによって、何も隠すものはないのだという印象を生み出そうとしているのだ。一方で、リッジはラベルへの原料表示が義務化されることには反対している。……」

「ブドウだけで事が済むならよいのだけれど」
ザ・ニュー・ヨーク・タイムズ/2013年5月30日
筆者: エリック・アシモフ
「……ワインには自然で牧歌的なものというイメージがあるものの、まったくの工業製品にもなりうる。こんな感じ、香り、味にしたいという、決まったコンセプトに合致するよう加工されたものが、組み立てラインから毎年毎年続々と出てくる。ポテトチップスやファーストフードのハンバーガーのようなもので、原材料の性質はすっかり変わっているものの、均質なのである。 こうした状況にも関わらず、ワインの添加物にはほとんど目が向けられていない。人々は食べ物について、やや神経過敏になっているにも関わらずだ。二十年前のアメリカ人は、どんな物でもお構いなしに食べていたが、今は違う。自分たちが調理し、消費する食べ物が栄養学的にどうか、環境への影響はどうか、人道主義や美学の見地からはどうか、果ては政治的に正しいかさえ気にしている。同じような注意関心を、日々飲んでいるワインにも向けるべき時ではないだろうか。 ……ワインラベルへの原料表示は自主的な行為に留まっており、実践しているワイナリーはまだ殆どない。ボニー・ドゥーン・ヴィンヤード、シン・エステート・ヴィンヤード、リッジ・ヴィンヤーズは、数少ない例外として賞賛に値する。
消極的な態度について、言い逃れをするワイナリーは多い。曰く、長々とした原料リストを見せても、消費者が混乱するだけだろうから、と。リストが短いもので、何世紀ものあいだ用いられてきた伝統的な添加物しか書かれていなくても、それが予期せぬ物質なら同じだとも言う。例を挙げよう。酵素添加を忌み嫌う職人的生産者でも、卵白やアイシングラスを使ってワインを清澄処理していることがある。アイシングラスは、魚の浮き袋から生産される物質だ。完全菜食主義者には、こうした情報を知りたがる人が間違いなくいるだろう。
……はじめの一歩として、ワインを食べ物と同じように考えればよいだろう。食べ物がどこで採れたものか、どんなふうに育てられたか、どんな加工や熟成がなされたか――こうした観点を、ワインにも取り入れるべきなのだ。我々自身が品質と真正さの基準を設けないとしたら、いったい誰が設けられるというのだろう? 」

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