連載コラム Vol.219

リッジの50年 その2

2013年8月30日号

Written by ポール・ドレーパー

(前回からの続き)
我々がガイザーヴィルのジンファンデルを初めて造ったのは、1966年である。アレキサンダー・ヴァレー地区の西端にある砂利の多い畑に、1882年に植えられた樹の果実を用いた。1990年にはリッジがこの畑の管理を引き受け、ジンファンデルとは別の品種が植わっていた区画の植え替えを行っている。この畑の元々の品種であるジンファンデルに、19世紀によく用いられていた補助品種を混ぜて植えたのだ。一方、リットン・スプリングスの初ヴィンテージは1972年である。ドライ・クリーク・ヴァレーの北にある台地の畑に、1902年に植えられた樹の果実を用いた。1990年にはリットン・イースト(東部)の畑を買収し、その中にはもっとも古い樹の区画が含まれていた。1995年には、リットン・ウェスト(西部)の畑も買ったのだが、こちらも元々はリットン大佐が保有していたものである。東部・西部とも1860年代に、初めてリットン大佐によってブドウを植えられたのだ。

リッジの血筋を遡っていくとまず、サンフランシスコで医者をしていたオセア・ペローネという人物に行き当たる。1886年に、モンテベロに畑を拓き、ワイナリーを建てた人物である。もうひとりがエメット・リックスフォードで、近隣にラ・クエスタの畑を拓いた。1883年にリックスフォードは、ブドウ栽培およびワイン醸造に関する最良の技術をまとめた本を出版している。この書物はそれから40年のあいだ、カリフォルニアで上質ワインを造るにあたっての標準的指南書となった。この本に記された伝統的な手法と、リックスフォードの師にあたるレイモン・ボワローの説いた手法(1867年〜1868年にかけ、ボルドーで二巻本として出版されている)が、リッジの50年を通じて採られてきたアプローチの礎をなしている。こうした手法の範囲内で、我々は実験を通じて醸造アプローチの洗練を続け、畑への理解もどんどんと深めていっている。モンテベロの畑を植え替えるにあたっては、元々はリックスフォードのラ・クエスタの畑から採取した穂木を、マサル選抜で増やしたカベルネを主に用いている。ラ・クエスタの畑の樹は、1880年代の前半にマルゴー村から移植された(根拠は定かでないものの、リックスフォードが崇めていたシャトー・マルゴーのものだという説がある)。

リッジのブドウ栽培は持続可能な方法を採用しており、ほぼ全面的に有機農法である。創設当初から、どんなブドウ畑でも別々に仕込んでいるのは、それぞれの土地が持つ際立った個性と品質を追求しているからだ。セラーにおいては、効果を発揮する上で必要最低限の亜硫酸を除き、添加物を用いない。機械を用いた加工処理も、瓶詰め前の優しい濾過と、昔ながらの除梗、圧搾以外には行わない。アルコール発酵の酵母も、マロラクティック発酵の乳酸菌も天然のもの。合計すると生産量の75%を占める自社畑産ワインは、モンテベロ、ガイザーヴィル、リットン・スプリングスの畑から生まれている。このほかにも、ワインを生産している比較的小さな畑が9つある。

自分たちは、土地の世話人だと考えている。ワインを造るブドウ畑のほとんどを所有しているし、他の畑については長期の貸借契約を結び、恒久的な農地利用権を保持している。公共の空き地管理団体(リージョナル・オープン・スペース・ディストリクト)とも協同しており、リッジが古くからのブドウ畑を、団体のほうは原野を保護する。その目的は、将来にわたって土地が開発にさらされないようにすることである。

ポール・ドレーパー
(リッジ・ヴィンヤーズ 最高醸造責任者 兼 CEO)

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