連載コラム Vol.218

リッジの50年 その1

2013年8月15日号

Written by ポール・ドレーパー

2012年ヴィンテージで、リッジ・ヴィンヤーズは商業ワイナリーとしての50周年を迎えた。ただし、畑に最初のブドウ樹が植えられ、歴史あるワイナリーの建物が建てられたのは1886年のことだ。モンテベロの最初のヴィンテージは1892年であり、120年前まで遡る。しかしながら、このワイナリーは禁酒法時代に閉鎖されてしまった。禁酒法撤廃とともに再開はしたものの、1940年代前半になると完全に廃業してしまっている。リッジの創設者たちが50年前に、このワイナリーを商業ベースで再開させ、卓越した1962年のワインを生み出した。

1880年代も、今日と同じようにモンテベロの気候は冷涼で、当時カリフォルニアの主力品種であったジンファンデルが毎年は熟さなかった。そこで、代わりに選ばれたのが、畑の大半を占めるボルドー品種である。ブドウ樹とその深い根が、過去100年間の大半の期間にわたって、モンテベロの尾根にある砕けた石灰岩の下層土を作り変えてきた。もともとのブドウ畑は1940年代までに打ち捨てられてしまったが、一部のブドウ樹については1949年にカベルネに植え替えられている。このときのブドウ樹から、1959年に仕込まれた最初のリッジ・モンテベロが生まれたのである。ワインの品質が素晴らしかったので、創設者たちは3年後にワイナリーを商業化した。1960年代には、打ち捨てられていた古い区画の植え替えが始まったが、1970年代半ばまでは樹の年齢が若すぎたため、新しい区画の果実がモンテベロのワインに使われることはなかった。それから長年の間に、19世紀まで遡る残りの区画の多くについて、買収またはリースすることができ、植え替えを続けてきている。

モンテベロの原産地呼称であるサンタ・クルーズ・マウンテンズは、ノース・コースト地区とセントラル・コースト地区を別っているのだが、どちらの地区にも属していない。この原産地呼称は、サン・アンドレアス断層によって二つの部分に分かれる。モンテベロの畑があるのは、北米プレート上にある東側の部分なのだが、そこの気候は主にサンフランシスコ湾の影響を受けている。太平洋プレート上にある西側の部分は、その気候が完全に太平洋の影響下にある。ともに冷涼だが、東側部分は湾の大気逆転層内にあるため、ボルドー品種が完熟できるぐらいには温かい。一方、西側部分は太平洋から流れてくる夏の霧の影響が大きいため、ピノ・ノワールやシャルドネに最適だとわかっている。モンテベロの頂上付近の畑(標高600〜800m)からは、西へ24キロ先にある太平洋が望め、海からは涼しい風が吹いてくる。 (次回に続く)

ポール・ドレーパー
(リッジ・ヴィンヤーズ 最高醸造責任者 兼 CEO)

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