連載コラム Vol.364

カリフォルニアのピノ・ノワールは長期熟成するのか?

2020年7月9日号

Written by 立花 峰夫

リッジの赤といえば、カベルネ・ブレンドでもジンファンデル・ブレンドでも、大変長い寿命をもつことで名高い。それではこのほど生産がふたたび始まった、リッジのピノ・ノワールも長期熟成するのだろうか?

ピノ・ノワールに限った話ではないが、カリフォルニアの赤には「熟成しない」というイメージが一般的にある。「若いときは果実味が濃厚で美味だが、瓶内で齢を重ねても肉の部分がふにゃふにゃと柔らかくなるだけで、熟成由来の複雑な風味が発達しない」というものだ。これは、ある程度までは的を射た指摘だ。過熟なブドウを使って仕込んだ、酸が低く、アルコールが高すぎるワインは、長期熟成できない。ただし、時代は急速に変わり続けており、ことピノ・ノワールに限っていえば、2010年頃まで一世を風靡したそうしたスタイルは、もはや主流ではない。

入れ替わるように登場したのが、いわゆる「ニュー・カリフォルニア・ワイン」と呼ばれる一群の生産者たちである。冷涼な畑で育った果実を、比較的低い糖度で摘み、酸味とタンニンの骨格をしっかりと残す。ブドウが熟れすぎていないから、アルコール度数もおおむね14%未満と穏やかだ。この新しいスタイルにも、もちろん玉もあれば石もあり、石だと、ただ薄いだけのワインになってしまっている。だが、最上の造り手たちが手がけたものについては、若いうちのとっつきやすさこそ、一昔前のザ・カリフォルニア的なワインに及ばないものの、デリケートかつ優雅、多面的なフレーヴァーを備え、なによりも瓶熟成させることでどんどんと旨くなる。よりブルゴーニュに近いとは言えるものの、かの地のピノほどの気むずかしさは若いころでもないし、カリフォルニアの太陽が育んだ果実味が底には流れているという、他にはないこの土地ならではの個性がある。リッジによるコラリトス・ピノ・ノワールも、アメリカンオークでの熟成など型破りなところはあるが、基本的にはこの系譜に連なっている。

かように格段の進化をとげた現在のカリフォルニア・ピノであるが、それでは偉大なブルゴーニュが見せてくれるような、神がかった熟成をするのだろうか。残念ながら、まだその答えはでていない。あと10~20年はじっと待った上で、検証する必要があろう。

とはいえ、大昔に仕込まれたカリフォルニア産ピノ・ノワールの中には、壮麗に、あるいは崇高に変貌した姿を今日見せてくれるものがある。筆者が本年2月末、雑誌記事の取材でモンテベロ・ワイナリーを訪れた際、ポール・ドレーパーはブラインド・テイスティングで、古いカリフォルニア産ピノをふるまってくれた。

色を見た瞬間かなり古いワインだというのはわかった。だが、香りや味わいは枯れた状態にほど遠く、まさに円熟の頂点にある。そのフレーヴァーはとにかく複雑にして玄妙、華やかではあるが決して派手なわけではない。長い時を経て当たりは柔らかくなっているものの、豊潤かつ甘美な果実の風味が鼻孔と口中を満たしてくれる。タンニンは完全に溶けて絹のようだが、酸味にはまだ活力がある。余韻は実に繊細で、一片の雑味もなく、果てしなく続いていく。これを飲んで感動しない人間がいるのか、というぐらい完璧なワインであった。

ボトルから覆いが外され登場したラベルは、ソノマ・ヴァレーの名門ハンゼルによる、1965年のピノ・ノワール。1950年代末から1970年代はじめにかけてこの蔵で腕をふるった伝説的醸造家、ブラッド・ウェブの作である。温度管理可能なステンレスタンクの導入、培養乳酸菌によるマロラクティック発酵の実施、ブルゴーニュ樽での熟成といった、当時としては最先端を行っていたハンゼルだが、今の水準から比べれば、その設備も技術も原始的なものであろう。それでも、これだけ美しい熟成をするピノを生み出すポテンシャルが、カリフォルニアにはあるのだということを知り、ただただ驚き、深い感銘を受けた。あるいは、原始的な仕込みであったがゆえに、これだけ長い寿命を持ちえたのかもしれぬ。

貴重な個人在庫を提供してくれたドレーパーは、このピノを出してくれた意図について多くを語らなかったが、リッジのコラリトス・ピノも、55年の時に耐えるということなのだろうか。それが分かるころには、さすがに筆者はこの世にいないだろうが、先がとても楽しみではある。

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