連載コラム Vol.363

サンタ・クルーズ・マウンテンズのピノ・ノワールがもつ潜在性

2020年6月23日号

Written by 立花 峰夫

その名の通り山岳地のワイン産地であるサンタ・クルーズ・マウンテンズAVAは、モンテベロの畑・ワイナリーがあるサンタ・クララ郡のほか、サン・マテオ郡、サンタ・クルーズ郡にまたがって広がる大きなAVAである。しかし、山肌にちらばるようにしてあるブドウ畑やワイナリーの数は、決して多くはない。そのため、冷涼な気候を持ちながらも、ピノ・ノワールの産地としては今もさほど知られていないが、カリフォルニアにおけるこの品種の歴史を紐解けば、その重要性とポテンシャルは明らかである。現に今も、歴史あるマウント・エデン・ヴィンヤーズや、リース・ヴィンヤーズといったワイナリーからは、目の覚めるような品質のピノが生まれており、このほどその列にリッジが加わったところである。

サンタ・クルーズ・マウンテンズAVAにおけるピノ・ノワールの歴史を語る上で、決して外すことのできないパイオニアが2名いる。ひとりは、フランス・ブルゴーニュ地方出身の異邦人、ポール・マッソン(1859-1940)。19歳でカリフォルニアにわたってきたマッソンは1890年代に、何度か故郷ブルゴーニュからピノ・ノワールの穂木を輸入しており(供給元は、ルイ・ラトゥールとDRCだとされる)、これが今日のマウント・エデン・クローン/セレクションズになっている。マッソンは、サラトガの町区に属する山の頂上の畑、ラ・クレスタにピノ・ノワールを植えた。

この畑を1936年に、70代になって引退を考えていたマッソンから買ったのが、マウント・エデンの前進であるワイナリーの創設者マーティン・レイ(1904-1976)である。マッソンの所有地で生まれ育ち、マッソンから直々にブドウ栽培やワイン造りを学んだレイは、一時は証券仲買人の仕事をしていたが、精神を病み、人生を立て直すべくワイン造りへと戻ってきた。ただし、とかく気難しく偏屈なレイと、師匠であるマッソンの関係は微妙だったようで、マッソンはラ・クレスタの畑をレイに売ることを頑なに拒んだという。そのため、レイは第三者を立てて素性を隠し、マッソンを欺くようにしてこの畑を手にいれた。それから7年後の1943年には、レイは近隣の山頂の土地を買い、ラ・クレスタの畑から採取したピノ・ノワールとシャルドネの穂木を植えている。これが、今日のマウント・エデンの畑である(同じ頃にレイは、ラ・クレスタの畑を大手酒類企業のシーグラムに売却している)。

レイは、そのワインもある種の伝説になっているが、人柄の難儀さもまた伝説的であった。晩年にあたる1972年には、それまでワイン造りを支えてくれていた投資家たちから完全に見放されて、訴訟ののちにすべてを失った。同年、レイの畑をワイナリーは、マウント・エデン・ヴィンヤーズに改名されている。

レイは、亜硫酸無添加でワインを仕込んだ。当時の技術水準を考えれば当然とも言えるが、その出来映えにはかなりのアタリハズレがあったらしい。ハズレを引いたのが、リッジの醸造責任者に着任して間もない頃の、若きポール・ドレーパーである。法外な価格で酒屋に並んでいたレイのワインに興味をそそられたドレーパーが、買って栓を抜いたところ、中身は酢になっていた。返品しようとワイナリーに電話をすると、受話器の向こうから、「その野郎は、ワインの味がまったくわかっていないな!」とののしる、レイの声が聞こえたという。一方、アタリを引いたのは、1960年代後半にUCデイヴィスに留学していた、ボルドー右岸ポムロールの君主、クリスチャン・ムエックスである。レイのワインに大いに感銘を受けたムエックスは、1986年末に大塚製薬がリッジを買収したというニュースを耳にした途端、友人であるポール・ドレーパーに、カリフォルニアは深夜2時であるにも関わらず電話をかけてきて、「なぜモンテベロが売りに出ていたなら、私に教えてくれなかった? 買ったのに」と責め立てたという。1982年、ナパの地にドミナス・エステートを設立していたムエックスだったが、サンタ・クルーズ・マウンテンズAVAのもつ力を、極めて高く評価していたのだ。

このほか、1976年の「パリスの審判」テイスティングにそのシャルドネが出品されたデイヴィッド・ブルースも、レイのピノ・ノワールに惚れ込んだ人物のひとりだ。ブルースは、皮膚科医としてのキャリアを続けながら、サンタ・クルーズ・マウンテンズAVAで、優れたブルゴーニュ品種のワインを生産した醸造家である。

リッジがピノとシャルドネの供給を受けているコラリトス地区のガリ・ヴィンヤードは、サンタ・クルーズ・マウンテンズAVA南端の、境界線ギリギリに位置しているが、現時点ではこのAVAの中には含まれていない。所有者であるガリ夫妻が申請をすれば、将来的には組み込まれる可能性がある土地だが、リッジが造るピノ・ノワール・コラリトスのラベル上の土地を示す名称は、こうしたわけで今のところ、「 Santa Cruz County サンタ・クルーズ郡」となっている。

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