連載コラム Vol.309

モンテベロにクロアチアのジンファンデル その1

2017年7月14日号

Written by 立花 峰夫

前回は、ジンファンデルの母国であるクロアチアで行われた国際会議「アイ・アム・トリビドラグ」についてお伝えした。クロアチアから来たジンファンデルの穂木は今、モンテベロの畑でも栽培されている。これから2回にわたって、この興味深いプロジェクトについて2016年5月にリッジが発表したレポート、「カリフォルニアにおけるジンファンデルの伝統を広げる」を翻訳掲載する(全2回中の第1回)。

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モンテベロの畑では、2016年の収穫へ向けての栽培作業が日々行われているが、ここではこの畑の「新参者」に目を向けてみよう。クロアチアからやってきたジンファンデルのことである。ジンファンデルは「カリフォルニアのブドウ」として知られているから、この品種のルーツがクロアチアにあり、歴史が1000年にも及ぶと聞いたら驚くかもしれない。一番古い名前はトリビドラグというものである。ジャンシス・ロビンソンが近年著わした、世界最大のブドウ品種辞典でジンファンデルのことを調べようと思ったら、トリビドラグの名前で引かねばならない。

リッジがモンテベロの麓で、ジンファンデルから数樽のワインを最初に造ったのは1964年のことで、19世紀に植樹されたブドウを用いていた。だが、非常に冷涼なその気候が、ジンファンデルに適しているとは言えないだろう。毎年このブドウが完熟するためには、ソノマやナパのようにもっと温かい地域でなければならない。例えば2015年、モンテベロの山の麓にあるジムソメア農園に植わる少量のジンファンデルの樹は、完熟に至らなかった。つまり、この年にはワインを生産しなかったということだ。ならば、そもそもなぜモンテベロにジンファンデルを植えているのだろうか。

歴史を少々 リッジの最高醸造責任者兼CEO(当時)のポール・ドレーパーは、ジンファンデルのパイオニアのひとりであり、1960年代という早い時期から、ソノマ、ナパ、パソ・ロブレス、シエラ・フットヒルズまで古木の畑を探し回っていた。だから、長年生き別れていたジンファンデルの兄弟とも言える、クロアチアのクローンを植えることは、カリフォルニアにおけるジンファンデルの伝統を深めようという、ポールの探求の自然かつ最新の成り行きと言えるだろう。

クロアチアに数本だけ生き残っていたジンファンデルの樹を、突き止めようとする研究をリッジは支援していた。それから10年が経っても、わずか18本の樹しか見つかっていない。最初に同定されたのは、海岸近くに新しく拓かれた畑に植わった1本の若樹だった。地元の栽培家にも未知の品種だったので、その地域の名前を取って、「ツールイェナック・カシュテランスキー」と名付けられた。

リッジがより強い関心を抱いたのは、海岸から崖を登ったところにある村で、2本の古木が見つかったときのことだ。地元民はこのブドウをよく知っていて、というのも以前はその地域で広く栽培されていたからだ。プリビドラグという名前で呼ばれており、これは歴史的な名前であるトリビドラグが、何世紀も経つうちに1文字変わったものである。

見つかった1本の若木と、2本の古木から穂木を取り、輸入してウィルス・フリーにする段取りにリッジは手を貸した。これら3種のクローンを、まずはリットン・スプリングスの実験区画に植えている。しかしながら、リットン・スプリングス、ガイザーヴィル、1農園を除いたモンテベロの畑はすべて、最良の自社畑に植わる最も健全な古木から取った穂木を植えたものである。フランス語で「セレクシオン・マッサル」と呼ばれる手法で、単一のブドウ樹、すなわちクローンを繁殖させたものではなく、一区画に植わる多くの樹から取った穂木を増やしたもの。だから、ウィルス・フリーの処理はなされていないのだ。
(次回に続く)。

2013年6月以前のコラムはこちらから