連載コラム Vol.253

今も輝くモンテベロ1971

2015年2月27日号

Written by 立花 峰夫

2015年1月、ポール・ドレーパーと共にモンテベロ1971を飲む機会に恵まれた。1976年の名高いパリ・テイスティングに出品され、2006年5月に最終勝利を収めた記念碑的ヴィンテージである。それから約9年が経過し、伝説のワインは43歳となった。ワイナリーにすら、もう1、2本しか残されていない希少なボトルが開いた。

グラスに注がれた瞬間、その色に驚く。まだしっかりと濃い。グラスを傾けると液縁にはオレンジ、ブラウンの色調がはっきり出ているが、中心部分は濃いレンガ色で、若干の黒味さえある。香りは十分に開いていて、複雑極まりない。ドライフィグ、なめし革、枯葉、腐葉土、タバコなどなど、優れた古酒特有の芳しいブーケがグラスから溢れる。オークのニュアンスは、層をなした香りの中に完全に溶け込んでいて目立たない。高まる期待の中でグラスを口に運ぶ。アタックはとにかく繊細で、口の中に液体が滑り込んだのに気付かないほど。だが、ただちに豊潤な風味が舌の上でふんわりと花開く。デリケートな果実の甘味が優しく胸を打つ。果実味、凛とした美しい酸味、ビロードのような渋味が渾然一体となって、完全な球体を連想させるハーモニーを奏でる。エレガンス、洗練の極致で、バランスはまさに完璧。テクスチュアはシルクさながらだが、43年を経た古酒にしてはボディの強さが印象的である。いつまでも終わらない美しい余韻。まだこの先10年、20年と育っていきそうなポテンシャルがある。魂が揺れるほどの感動は、このワインに似たものが、世界のどこにもないことからも来ている。カベルネの古酒といえばボルドーがたちどころに想起されるが、モンテベロはボルドーよりも甘く、酸が強く、エキゾチックである。

アルコールはわずか12.2%。冷涼なヴィンテージだったとポール・ドレーパーは語る。カリフォルニアでもナパなどの地域では、気温が低すぎて難しい年だったという。気候パターンの異なるモンテベロの山は、他の地域のような天候不順には見舞われなかったが、それでも平年よりは摘み取りが遅くなった。1940年代植樹のカベルネ・ソーヴィニョンのみを、天日乾燥のアメリカンオーク樽で熟成させている。山頂にある現在のワイナリーで、初めて仕込んだのがこの1971年だ。ラベル上部に大きく書かれるのはカベルネ・ソーヴィニョンの文字で、モンテベロの畑名は下部に小さく書かれるだけである。「モンテベロの名を、ラベルに大きく掲げるようになったのは、この翌年か翌々年から。私は1969年の就任当初から、畑名をラベルで強調するようにと主張していたが、リッジの創設者たちを説得するのに数年かかった」と、ドレーパーは説明する。

この偉大なワイン、出来上がったばかりの頃は、芳しい評価を得られなかったという。弱いワインではないかと心配されたのだ。今の姿からはちょっと想像がつかない。「ひとつ前のヴィンテージ、1970年のモンテベロのほうがもっと力強いワインだったから、1971年は行く末を案じられた。瓶詰前にタンクから取ったサンプルを創設者たちと試飲したのだが、グラスを光にかざすと向こう側が透けて見えた。色が明るいだけでなく、味わいも優しかったので、皆ショックを受けていた。創設者たちは、『ポール・ドレーパーを醸造責任者にしたのは失敗だったのではないか』とまで考えたらしい」と、彼は微笑みながら語る。「実際、確かに大柄なワインではなかった。味がまとまるのも早く、瓶詰めから4~5年で非常にバランスがよくなり、あらゆる要素が完璧に統合されていた。だから私でさえ、このワインはそこから15~20年が寿命だろうと予想したものだ。しかしながら、43年が経ってもまだこの色、ボディがあることに正直驚かされている。ワインにとって一番大切なのはバランスの良さであり、それは若い段階から達成されなければならい――そう教えてくれたのがこのヴィンテージだ」。こう締めくくったドレーパーはこの宵、満足気にグラスを重ね続けた。
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