連載コラム Vol.229

モンテベロの歴史あるブドウ畑 その2

2014年2月14日号

Translated by 立花 峰夫

現在、モンテベロの自社畑となっている土地は、19世紀末から20世紀はじめにかけて開墾され、ワイン用のブドウが植えられた。その当時は所有者が四人いて、いずれも面白い人物であった。

●ペローネ農園 Perrone Ranch
オセア・ペローネは、サンフランシスコで医者をしていた人物で、北イタリアの出身であった。ペローネは1855年、モンテベロの尾根の頂上近くに広がる180エーカーの土地を購入する。斜面を拓いて段々畑にし、ブドウを植えた。泉のそばにあった峡谷を掘り、土の中から出てきた石灰岩を利用してワイナリーも建てた。この「モンテベロ・ワイナリー」は、1892年ヴィンテージに間に合うタイミングで完成・設立されている。出来上がったワインは、サンフランシスコまで運ばれ、そこでモンテベロ・ワイン・カンパニー社によって瓶詰めされた(樽からの直売もなされていた)。

オセアが1912年に他界したあと、この地所の所有権は同じオセアの名を持つ甥に移った。この甥は、それまでも農園で働いていたのだ。甥のオセアは、500エーカー以上にまで農園を広げた。禁酒法の期間も土地を手放さず、禁酒法撤廃後に再度ワインの生産を始めた。甥のほうも1936年にこの世を去ったが、その後も1943年までは細々とワイン造りが続けられている。だがこの年にワイナリーは閉鎖され、最後まで残っていたブドウ畑も打ち捨てられてしまう。

1960年代後半になると、リッジの創設者たちは規模拡大を考えるようになっていた。2キロほど斜面を上ったところにある、ペローネが拓いた大きなワイナリーを取得するのは合理的な選択肢だった。創設者たちは、当時の所有者であったトレンタデュー家に交渉を持ちかける。同家は1957年に、打ち捨てられたワイナリーと40エーカーの土地を購入し、そこで遠足やピクニックをしていた。

1968年に、創設者たちはペローネが拓いた地所の一部を購入することができた。古いワイナリーの建物も含まれていたので、改築にも着手している。1969年に醸造責任者となったポール・ドレーパーが設備を一新し、1971年ヴィンテージからはこちらの建物でワイン生産が始まった。

リッジは、購入した以外にもトレンタデュー家から畑を借り、ボルドー品種を植えた。最終的には、この借りていた土地も1987年に購入している。歴史あるワイナリーの建物は現在、モンテベロにおける生産設備の中核である。
(次回に続く)

2013年6月以前のコラムはこちらから