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連載コラム Vol.86
モンテベロの先物買い
  Written by 立花 峰夫  
 
 毎年春になると、ボルドー地方産ワインのプリムール(先物買い)の話題が、日本のワインマーケットをもかけめぐる。格付けシャトーを中心としたボルドーの高級ワインは、現在その生産量のかなりの部分が収穫翌年の春の時点、つまりワインがまだ樽に入っている段階で売られていく。各シャトーから直接ワインを買い付けるのは、ボルドーで活動する400社ほどのネゴシアン(中間卸的存在のワイン商)だが、輸入業者や小売店も同時期にネゴシアンからやはり先物で購入し、消費者に転売する。消費者から中間業者を通してシャトーまで、代金の支払いはこの時点で全額なされるが、瓶詰めされたワインが消費者の手元に届くのは、約2年度のことである。

 ボルドーワインにおける先物取引のメリットは、生産者側、消費者側双方にあるとされる。まず、生産者側の最大のメリットは、キャッシュフローがよくなること。高級ワイン生産とは、製品の製造開始から販売までのタイムスパンが非常に長いビジネスだが、収穫から半年後に売上げが立てば、その問題は解消される。消費者側には、瓶詰めされたワインが後に一般市場に出回るときよりも、相当に安い価格で購入できるというメリットがある。ただし、この消費者側のメリットは、必ずしも確実なものではない。ボルドーワインの先物価格は、その時々の世界的な需給状況によって乱高下する非常に投機的なものである。先物の段階で、品質水準に見合わないほどの高い価格がつけられたヴィンテージ(たとえば1997年)では、2年度に一般市場に出てきたワインの価格が、先物価格よりも安いようなことも実際に起きている。

 さて、ここからがリッジの話。アメリカ国内在住の消費者の方のみが対象になるが、モンテベロの赤については、収穫翌年の春に先物販売が行なわれている。毎年、3月1日から5月31日までの3か月間が先物(フューチャーズと呼ばれる)の購入時期で、価格は通常よりもかなり安くなる(リッジの場合、瓶詰め後の時点で購入するよりも確実に安く買える)。3月にはモンテベロ・ワイナリーで、購入希望者が樽で熟成中のワインを試飲できるイベントも開催されている。

 リッジが行なうこの先物販売は、ボルドーのそれと違い、純粋なファンサービスに近いようだ。モンテベロ赤の生産量は年産2500ケース程度で、ワイナリー全体の生産量(約7?8万ケース)のごくわずかな比率しか占めていない。その一部を先物で売ったとしても、ワイナリー全体のキャッシュフローが大きく好転するようなことはない。常に供給量に需要が勝るワインだから、瓶詰め後に高い値段で売ったほうが、経営的にはプラスだとも言えるだろう。それでもリッジが先物販売を続けているのは、「昔からリッジを支えてきてくれた個人顧客の人たちに、安くワインを買ってほしいから」だと、ポール・ドレーパーは語っている。彼は、毎年春の試飲会でそうした人々と顔を合わせ、ともにワインを飲む時間を、心の底から楽しみにしている。

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 立花 峰夫
 フリーのワインライター/翻訳者。
 2003年ヴィンテージには、リッジ・ヴィンヤーズの研修生
  として醸造を経験。