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連載コラム Vol.82
醸造家の言葉 その2 エリック・バウアー
  Written by 立花 峰夫  
 
 2007年のハーヴェストがクライマックスを迎えているが、そちらのレポートは次回のコラムにて。今回は、前々回に続いての醸造家インタヴューをお届けする。モンテベロ・ワイナリーの醸造現場を統括する副社長、エリック・バウアーが、様々な技術的な質問に答えている。

Q:清澄が必要な際に、なぜ生の卵白を使うのか?

A:
清澄剤として利用されているものの数は大変に多く、集めるとまるで兵器工場のようです。しかし、ほとんどの清澄剤には悪しき副作用があり、風味、色、複雑性が失われてしまいます。私たちは、常に必ず生の卵白で清澄するというわけではありません(清澄をしない場合もあるのです)。ただ、テイスティングをして、清澄したほうがよいと分ったときには、樽ごとに特定の数の卵白を入れてやります。そうすると、品質を損なうことなく、より良い結果が得られるのです。生の卵白にはアルブミンという蛋白質が含まれていて、これはブドウの種に含まれるタンニンと、結びつきやすい性質を持っています。この蛋白質は、ターゲットであるタンニン分子にそっとひっつき、だんだんと重くなって、最後には沈殿物としてワインの底に沈みます。二週間もすれば添加した蛋白質がすべて底に沈むので、上澄みを移し替えることで沈殿物を取り除きます。混じり物のない生の卵白を使った清澄は、タンニンの量を減らし、ワインのバランスを高める上で、最良かつ一番優しい方法なのです。


Q:優れたワインを造るのに、人間の介入はどこまで必要か?

A:
「人間の介入」を厳密に定量化することは難しい。人間の意志というものは、ワイン造りの初期から入り始める。単に美味しい飲み物以上のもので、製造コストと利益をカバーできる販売価格のワインを造ろうと欲したときから、人という要素が介在しはじめるからだ。しかしながら、価格や評論家の点数で、優れたワインかどうかが決まるわけではない。優れたワインは、「本物」らしさがなければいけない。それは、原産地に忠実なことで、ブドウ栽培、収穫、醸造プロセスにおける人為的介入を、極小にするよう心がけることなのだ。それぞれのヴィンテージ、それぞれのワインは異なっている。よって、いつ介入すべきか、いつ介入すべきではないかというテーマをめぐっては、個別に異なる問題と解決策がある。


Q:なぜ培養酵母ではなく天然酵母を使うのか?

A:
リッジではその歴史を通じ、第一次発酵(アルコール発酵)を天然酵母によって行なってきました。それが「伝統的」な方法だからですが、実験によって私たちは、天然酵母のほうが出来上がるワインの風味が良くなり、複雑性も増すことを確信しています。ブドウ畑や品種の究極的な表現は、畑にあるブドウの房で生まれた酵母によってなされるもので、同じことができる培養酵母は存在しません。


Q:複数の品種のブレンド比率をどうやって決めるのか? 1パーセントの違いでワインは変わるのか?

A:
混植になっている古いジンファンデルの畑については、植え付けをした栽培家によって、100年以上前に畑でブレンド比率が決められています。ただし場合によっては、別の場所に品種毎に植えられているカリニャンやプティ・シラーを、混植の畑のワインに加えることもあります。モンテベロの畑では、4種類のボルドー系品種を別々に育てていて、全部で36ある区画は別々に発酵させています。収穫から数ヶ月後に、こうしてできた区画別のワインをテイスティングし、ブレンドするのです。数えきれないほどの「イン/アウト」のテイスティングを行なって、ベースとなるワインに異なる要素を加えていきます。たった0.5パーセント何かが変わっただけでも、識別可能な違いとして現われます。

※「イン/アウト」のテイスティングとは、ベースとなるワインに別のワインを少量加えたものと加えないものを二点比較し、どちらが優れているかを決めるという方法。結果が良くなった場合には、加えたものが次のベースワインとなり、さらにそこに別のワインを加えて同じ手順を繰り返す。


Q:ワイン造りにあたって、尊重している原理は何か?

A:
自然なワイン造りに深い経緯を払っています。ワイン造りの過程では、おびただしい数の生物学的システムが相互に絡み合っているのです。優れたワインを造るには、まず卓越した土地が必要ですし、その土地の土壌や気候に適したブドウ品種を植えねばなりません。栽培にも手間をかけねばなりませんが、そうすれば信じられないほど素晴らしい色、風味、リッチさをもったブドウが手に入ります。そのブドウで、畑が持つ唯一無二の個性を表現しようとするならば、人為的介入は最少でなければなりません。

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 立花 峰夫
 フリーのワインライター/翻訳者。
 2003年ヴィンテージには、リッジ・ヴィンヤーズの研修生
  として醸造を経験。