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連載コラム Vol.77
リットン・スプリングス小史 その2
  Written by デヴィッド・ゲイツ  
 
第二部 リッジ・ヴィンヤーズとリットン・スプリングス
リットン・スプリングス第一期
 1971年のじめじめと陰鬱な冬の日、ポール・ドレーパーは古いナーヴォ・ワイナリーで、たまたまリチャード・シャーウィンに出くわした。リチャードは、チキータ通りのそばに最近ブドウ畑を買ったばかりであることを話し、ポールはそのブドウに関心を持つ。リチャードの「ヴァレー・ヴィスタ」の畑に植わる樹齢70年のブドウ樹を見ると、すぐにポールは果実の買い取り契約をかわした。その畑のワインは期待を裏切らないもので、1972年から1976年にかけて造られたリッジのリットン・スプリングス・ジンファンデルは、素晴らしい出来であった。私たちの成功に触発されたリチャードは、1977年に自分のワイナリーを開き、我々の了解のもと「リットン・スプリングス」と名付ける。リチャードのワイナリー開業にともない、私たちにはリットン・スプリングスの果実が手に入らなくなった。しかし、ビル・ハンブレヒトがノートン農園を購入したあと(上述)、果実の購入が再開されている。

リットン・スプリングス第二期
 ビル・ハンブレヒトとリッジの関係は1970年代後半に、ビルがリッジの株主となった時に始まる。だが一番大切だったのは、ビルがジンファンデルを愛していたことである。だからこそ、リットン・スプリングスに大きな土地を購入したビルが、すぐにポールに連絡してきたのは自然なことだった。1984年に、リッジはふたたびリットン・スプリングスの果実を手にできるようになり、今度は船長の土地の西側にあるブドウ畑だった。ビルとその下で働く栽培責任者であるフレッド・ピーターソンは、このノートン農園の整備に着手し、ジンファンデル、プティ・シラー、シラー、マタロ、グルナッシュを植えている(この時に植えられたブドウ樹はすべて、今日まだ残っている)。1980年代末まで、何もかもがうまく運んだ(少なくともワインビジネスにおいて望みうる限りには)。我々の造るリットン・スプリングスのワインはよく売れた。リチャード・シャーウィンとの付き合いも続いており、時折彼のワイナリーをのぞいたり、そのブドウ畑を歩いたりもした。そうするうちに、リチャードがよいことを思いついたのだ。

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 デヴィッド・ゲイツ
 リッジ・ヴィンヤーズ副社長/栽培責任者