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連載コラム Vol.76
リットン・スプリングス小史 その1
  Written by デヴィッド・ゲイツ  
 
 リットン・スプリングスの歴史を語る時には、三つの区切りに分けるのが一番わかりやすいだろう。華やかな船長とともに1860年代に始まったこの畑は、歴史的なブドウ畑へと発展し、現在そこには藁ブロックで築かれたワイナリーが建っている。その間には、土地の開発、にわか景気と不景気、禁酒法、ワイン産業の復活、そして大変な幸運があった。今日、リットンの畑に生えている美しい古木には、こうした出来事がすべて反映されているのだ。

第一部 リットン船長
 W・H・リットン船長は、19世紀のソノマ郡の歴史に名を残す華やかな人物である。土地の投機に手をだし、大儲けと大損失を繰り返した彼にとって、リットン・スプリングスの土地は最後の事業であった(リットン船長の正しいスペルは Litton だが、1898年頃になると公式な地図に間違えて Lytton と綴られるようになった。今日では間違ったほうのスペルが残っている)。 船長と妻、その周囲にいた出資者たちは、ドライ・クリーク・ヴァレーとアレキサンダー・ヴァレーにまたがる広大な土地を所有していて、そこにはリットン温泉(Lytton Springs)‐‐ホテル、鉱泉浴場、発泡性ミネラル・ウォーター泉、ミネラル・ウォーター泉からなる‐‐と、リットン駅(ホテルと温泉のために設けられた鉄道駅)があった。そしてリゾート施設の周囲は、ブドウ畑と果樹園、野原となっていた。船長が死ぬと、1877年から1898年のあいだに広大な所有地はバラ売りされ、禁酒法の時期からその直後にかけて、シミ土地会社やマゾーニ一族など様々な所有者の手を経ている。東側の一部の土地は、こうした年月の間もずっとブドウ畑のままで、1970年代のはじめにリチャード・シャーウィンが購入した(彼の物語はパート2で述べる)。
一方、西側の部分の大半は、ブドウ栽培が儲からなくなると多角化され、プルーンの果樹園や羊の牧場として利用された。しかし、一角は大きなブドウ畑となり、1934年に植え付けがなされている。ノートン一族が、この西側の土地を長年所有していた。一族は1953年にふたたびブドウを植え始め、売却する1970年代までそれは続けられた。
1980年代初頭に、ビル・ハンブレヒトがこの土地を購入する。このほかに、現在リットン船長の土地を所有しているのは、救世軍、ヒールスバーグ市営空港と、群小の土地所有者たちである。

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 デヴィッド・ゲイツ
 リッジ・ヴィンヤーズ副社長/栽培責任者