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連載コラム Vol.7
Who's Paul Draper ? -アポロンとディオニソス
  Written by 立花 峰夫  
 
  ポール・ドレーパーの活躍に伴い、デイヴ・ベニオン、創設者の一人で前醸造責任者でもあった人物の影響力は、次第に低下していった。ポールの参画後数年でベニオンは醸造から一切手をひき、畑仕事に専念するようになる。そして1984年、リッジのオーナー達はとうとうベニオンの退陣を要求するに至る。
 リッジについての年代記を記したデヴィッド・ダーリントンは、ポールをベニオンの違いを、太陽神アポロンと酒神ディオニソス(バッカス)に例えて二人を比較している(これはポールが大学時代に専攻した、ニーチェの『悲劇の誕生』に登場する枠組みである)。アポロンは理性と意識の神であり、ディオニソスは直感と官能の神。当時のリッジにおいてはポールがアポロンで、ベニオンがディオニソスだった。
 ポールが参画した1969年当時のカリフォルニアは、ヒッピー・ムーヴメントのまっ只中。道端でヒッチ・ハイクしているのを拾ってきたような連中が従業員には多かったし、仕事はのんびり・ゆっくりが基本。ベニオン自身が、会議の始めに1時間も昨夜の食事について話すようなタイプだった。直感的で無頓着、人目を気にしないベニオンは、冷静沈着で理性的、伊達者のポールとは性格的にも正反対である。ポールもリッジの民主主義的な空気は好きだったが、全員がボス気取りでバラバラなのは気にいらなかったし、だらしない作業基準も到底受け入れられないものだった。
 ポール・ドレーパーもディオニソス的側面への志向性やあこがれを持っているのだが、それは白人音楽家が黒人音楽を崇拝するような意識的なものだ、とダーリントンは著書の中で分析してみせる。ポール自身も、「自分の理想は『意識的にコントロールされたディオニソス』だ」とダーリントンに話している。
 偉大なワイン造りとは、荒ぶる自然のエネルギーをある種の文化的な枠に嵌めていくことだから、そこにはアポロンとディオニソスが共に必要なのだろう。だが、一人で(アポロン寄りとはいえ)両方の側面を持つポールがリッジに入ってきた以上、ベニオンの居場所がなくなるのはある種の必然であった。ベニオンが主役を張っていた時代、3000ケース前後でもたもたしていた生産量は、彼がリッジを去る1984年にはポールの手腕で4万ケースにまで成長していた。ベニオンが去り、リッジの一つの時代が終わった。
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 立花 峰夫
 フリーのワインライター/翻訳者。
 2003年ヴィンテージには、リッジ・ヴィンヤーズの研修生として醸造を経験。