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連載コラム Vol.66

リッジで働く人々5 黒川信治

  Written by 立花 峰夫  
 
  1986年以来、リッジは大塚グループの所有であり、日本人醸造家がチームに参加している。現在、大塚グループの代表として毎年醸造作業に参加し、リッジの役員も務めているのが黒川信治氏である。昨今、海外で活躍する日本人醸造家が増えているが、黒川氏は先駆者のひとりに数えられよう。

  1961年生まれ、愛知県の出身。発酵科学に興味を持ち、山梨大学の醸造学部に進んだ。卒業後は大塚食品株式会社に入社し、研究所で商品開発に携わっていたが、大塚グループが山梨県にワイナリーを設立することになり、その醸造責任者兼総支配人として赴任。1987年から1993年まで、「シベール」「フィガロ」といった銘柄のワイン生産を行なった。その後一度は研究所に戻り、ワインの仕事からは離れたものの、2000年8月にリッジの常駐担当者・醸造家として米国へと渡ることになった。

  ワイン造りの根幹は世界中どこでも同じだとはいえ、やはり日本とアメリカでは条件の違いが大きい。また、山梨のワイナリーで黒川氏が主に造っていたのは甲州ほかの白ワインだが、リッジは圧倒的に赤ワイン中心。急な赴任だったがゆえの言葉の壁もあり、当初はかなり「カルチャー・ギャップ」にとまどい苦労もあったという。しかし、毎日遅くまで額に汗して働き、アメリカでの生活を続けるうちに、Shinjiはリッジになくてはならない人材となった。

  2001年12月までは米国に常駐、その後は日本に拠点を移し、太平洋を行ったり来たりする生活となった。収穫時期に2〜3カ月現場に張り付くほか、ブレンドなど重要な意志決定には必ず参加する。収穫時期には全発酵タンクの温度管理を担当するほか、破砕作業、ポンプオーヴァーと休むことなく体を動かし続ける。学生時代、アメリカン・フットボールで体を鍛えただけあって、優れた醸造家にとって必要不可欠な資質=体力には自信がある。普段はスーツ/ネクタイの似合う紳士だが、収穫時期は無精髭が伸び放題となり、かなりワイルドな印象になるのが面白い。

  ことさらに日本人の美徳をアピールしているわけでもないだろうが、黒川氏はとにかくよく働く。収穫時期、最後までワイナリーに残っているのはたいてい黒川氏かエリック・バウアーである。温かい人柄で、研修生などの面倒見も実にいい。現場にいるときの黒川氏には、本来いるべき場所にいる人間の放つ光があるように思う。
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 立花 峰夫
 フリーのワインライター/翻訳者。
 2003年ヴィンテージには、リッジ・ヴィンヤーズの研修生
  として醸造を経験。