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連載コラム Vol.43
山頂のシリコン・ヴァレー
  Written by 立花 峰夫  
 
 リッジのモンテベロ・ワイナリーは、IT産業のメッカであるシリコン・ヴァレーに隣接している。一番近いクパチーノの町には、アップル・コンピューターの本社があり、石を投げればエンジニアに当たる。だが、20分の山道を登って山頂のワイナリーにつくと、そこは完全な別世界である。葡萄畑の周囲には青々とした樹々が生い茂り、コヨーテ、クジャク、ガラガラヘビといった野生動物がうろうろしている。ワイナリー自体も、雰囲気のある木造の古い建物で、周囲の環境にうまく溶け込んでいる。
 しかし、そのワイナリーの中には、「シリコン・ヴァレー」というあだ名を持つ場所があるのだ。それはリッジが誇るハイテクの城、各種の分析を行うラボのこと。規模に見合わないほど立派である。ガス・クロマトグラフィー、ハイパフォーマンス・リキッド・クロマトグラフィー、スペクトロ・フォトメーターなど高価な分析機器がならび、専属のディレクター、カレン・シュミットとそのアシスタントが毎日なにがしかの分析を行っている。現場を仕切る醸造家たちも、カレンの傍らで自ら分析機器を操作する。リッジの自然なワイン造りにおいては、逆説的ながらも化学分析が生命線なのだ。
 ラボで測定・分析される内容は多岐にわたっている。収穫前になると、葡萄のサンプルが毎日のようにラボに届き、糖度、酸度、pH、窒素、カリウム、タンニン、アントシアニンの値などが測られる。醸造が始まれば、アルコール度数、残糖、リンゴ酸値、亜硫酸値といった項目がそこに加わってくるから、収穫時期のラボは醸造現場と同じく戦場さながらである。揮発酸値や腐敗酵母のマーカー値といった、微生物管理に関わる項目には特に神経が使われ、醸造期間中から瓶詰め後に至るまで、定期的なチェックが高頻度で行われる。天然酵母での発酵、低亜硫酸での醸造を行うリッジのワイン造りでは、微生物汚染のリスクがどうしても高くなってしまう。そのリスクを最小限に抑えるために、「シリコン・ヴァレー」での分析は必要欠くべからざるものなのだ。
 現在のラボ・ディレクター、カレン・シュミットは、その名の通り可憐な女性だが、バリバリに有能な化学者。西海岸有数の名門校スタンフォード大学の研究室で勤務したのち、民間の研究機関を経てリッジのラボにやってきた。最近は醸造家たちとともにテイスティングにも参加し、リッジのワイン造りにとって不可欠な人材となっている。
 なお、カレンの前任者であるレオ・マックロスキーは、リッジを退職後に自ら商業ラボを開き、大成功を収めた。その名をエノロジックスといい、葡萄やワインを化学分析することにより、パーカーポイントを予測するというユニークなサービスで知られる(ワインをテーマにしたドキュメンタリー映画、『モンドヴィーノ』にも登場した)。マックロスキーは、リッジで働いたころから、偉大なワインの条件を化学組成の面から解明しようと研究を重ねていたという。
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 立花 峰夫
 フリーのワインライター/翻訳者。
 2003年ヴィンテージには、リッジ・ヴィンヤーズの研修生として醸造を経験。