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連載コラム Vol.23
さよならユーラリオ
  Written by 立花 峰夫  
 
 リッジの栽培・醸造クルーの中で、もっと も古株だったユーラリオ・リオス(62)がこ の3月にとうとう引退した。リッジにやって きたのが1974年だから、ポール・ドレーパー の5年あとである。それ以来、31回のハーヴ ェストを経験し、リッジの成長とともに齢を 重ねてきた。引退後は、長年連れ添った奥方 とともに故郷のメキシコに戻るのだという。
 リッジの栽培・醸造クルーのほとんどはメ キシコ人である。皆タフで、陽気で、キビキ ビと気持ちよく仕事をする。リッジの高品質 の秘訣の一つとして、このクルーの存在があ るのは疑いないところだ。彼らはリッジの敷 地内各所に家を与えられて暮らしており、収 穫、瓶詰めなど人出が必要な時期には、その 奥方や子供たちも仕事を手伝ってくれる。季 節のいい時期には、週末ごとに誰かの家に集 まってはバーベキュー・パーティを開き、テ キーラとビールを浴びるように飲みながら踊 る。全員が、いわばひとつの大家族のように 結びつきあっているのである。
 その大家族の長老がユーラリオだった。さ ほど口数の多いほうではなく、英語も達者で はなかったが、とにかく驚くほどよく働く男 だった。過酷な労働を進んで行い、60歳をす ぎてもひょいひょいと樽を持ち上げては運ん でいた。「もう年なんだからあまり無理をす るな。重いものを持つな」と、周囲の人間が 諌めてもおかまいなしだった。
 収穫時期になると、醸造の始まりである破 砕の工程を受け持った。トップピークの時期 には、連日深夜までの作業が続くもっとも過 酷なポジションである。ユーラリオは31年 間、門番のようにその場所を守り続けた。前 日の終了時刻が12時だろうと午前1時だろう と、翌朝7時には必ずユーラリオは働いてい た。疲れを見せず、片時も止まることなく動 き続けるその姿は感動的ですらあった。
 今では、息子のミゲルもクルーの一員とな っている。可愛い孫も生まれているから、メ キシコに戻ってからも時折はモンテ・ベロに 遊びにきてくれることだろう。だが、ユーラ リオの魅力的な笑顔が山から消えてしまうの は、やはり残念でならない。
 ポール・ドレーパーはこうコメントしている。「ユーラリオは 最高のセラー・クルー、最高の作業長であっただけではない。ク ルーをどう処遇すべきか、クルー間でおきた問題をどう解決すべ きかについて、長年にわたって私に助言をしてきてくれた。彼の アドバイスは、いつも非常に的確なものだった」。
 長いあいだ、ほんとうにお疲れ様でした。
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 立花 峰夫
 フリーのワインライター/翻訳者。
 2003年ヴィンテージには、リッジ・ヴィンヤーズの研修生として醸造を経験。