Archives
連載コラム Vol.210

シャトー・モンテレーナのジム・バレット氏逝去

  Written by 立花 峰夫  
 
 去る2013年3月14日、ナパ・ヴァレーの名門 シャトー・モンテレーナの所有者、ジム・バレット氏が亡くなった。86歳であった。「パリスの審判」の主要登場人物では、はじめての鬼籍入りである。

 1926年にロサンゼルスで生まれたバレット氏は、不動産専門の弁護士として成功を収めたあと、1972年にシャトー・モンテレーナを取得、ワイナリーオーナーとして第二のキャリアをスタートさせた。モンテレーナはナパ・ヴァレーの北端、カリストガの地に1882年に創設された歴史あるワイナリーである。禁酒法時代には操業が止まったきりになっていたのを、バレット氏が復活させた。

 転機が訪れたのは、創設から4年後の1976年。名高い「パリスの審判」テイスティングにおいて、モンテレーナのシャルドネ1973が大勝利を飾ったのだ。このテイスティングは、当時まだまったく無名だったカリフォルニアワインの赤白を、ボルドーやブルゴーニュの大銘醸と競わせたというもの。白赤両部門でカリフォルニアが1位という大番狂わせに、世界中が驚愕した。モンテレーナは、赤ワイン部門のトップとなったスタッグス・リープ・ワインセラーズとともに一躍スターダムにのし上がり、やがてカリフォルニアワインの名門的存在となった。バレット家から見た「パリスの審判」の物語は、『ボトル・ドリーム』という映画にもなっている。

 なお、この「パリスの審判」テイスティングの赤ワイン部門に、リッジも参加していたのはご承知の通り。1976年には5位という順位だったものの、2006年の30周年記念テイスティングでは、モンテベロ1971がダントツの1位に輝いている。

 ジム・バレット氏は、1982年に息子のボーに醸造責任者の地位こそ譲ったものの、2008年まではCEOの地位に留まった。2005年に筆者が蔵を訪問した際には、まだまだかくしゃくとしたご様子で、インタヴューにも精力的に答えてくれたことが印象に残っている。映画にも描かれた、息子ボーとの固い絆は、30年を経ても変わらないように見えた。跡継ぎという点では、ジム・バレット氏は思い残すことがなかったに違いない。1976 年における赤ワイン部門の勝者、スタッグス・リープ・ワインセラーズが、跡継ぎが見つからずに人手にわたったのと好対照である。

Archives