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連載コラム Vol.209

ジンファンデル2010 その2

  Written by デイヴィッド・ゲイツ  
 
 (前回からの続き)
 ソノマの自社畑では、2010年の生育期間の開始は遅く、気温も低めだった。8月下旬までずっと気温は低いままだったのだが、8月末に悪名高い「熱波」に襲われる。大変に暑く、乾燥した日が2日続いたせいで、色づきを迎えようとしていたジンファンデルの房の半数が、焼けたようになってしまった。この熱波の到来までは、気温が低い年特有の遅めの収穫を予想し、作業を続けていたのだ。1991年、1993年、1999年とじように、除葉の度合いを平年より若干多めにしていた。葉の健康状態に気を配りながら、房によく日が当たるようにし、色づきをじっと待っていたのである。だが、熱波の到来後には作業のペースが急上昇した。被害測定をしつつ、残った果実が完熟し、健全で傷のない状態でワイナリーへと運ばれるよう骨を折ったのだ。

 熱波の直後にまず一度(その後四回繰り返すことになったのだが)、ジンファンデルの畑を選果して回り、完全に駄目になった果実を切り落とした。たちまち明らかになったのは、この年はあらゆる人員を集中投下して、選果をしながらの収穫を短期間で行わねばならない、ということである。それぞれの区画で、最高の状態のブドウだけがワイナリーへと運ばれるよう、時間、労力、資金を費やすのは毎年のことだ。未熟果、過熟果、痛んだ房は、摘み取られずに畑に残される。しかしながら、2010年のジンファンデルでは、この作業のレベルが一段高くなった。畑とワイナリーの両方で選果が行われたのだが、アルザス、ラインガウ、ソーテルヌといった産地で毎年遅摘みワイン用になされるのと同じレベルの作業を、リッジでは辛口ワインに適用したのだ。文字どおり粒ごと、房の一部ごとの選別をどの区画でも実施し、素晴らしい状態の果実だけが発酵タンクに入るようにした。献身的なスタッフを大勢抱えていることが、2010年には幸いしている。あらゆる人手を動員し、困難な収穫に立ち向かっていった結果、最終的には成功を収めることができたのだ。量は限られていたものの、発酵タンクに投入された美しいブドウは大変な凝縮感を備えており、酸度についてはジンファンデルで過去最高だった。

 2010年の収穫で得られた教訓とは、ブドウ樹をよいバランスに保つだけでは、十分でない年もあるということだ。熟練したスタッフと、何が起きようとも柔軟に対応する能力が加えて必要なのである。とてもいい勉強にはなったものの……もう一度同じことを学ぶ羽目にはなりたくない。

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デイヴィッド・ゲイツ
 リッジ・ヴィンヤーズ 栽培担当副社長