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連載コラム Vol.186

モンテベロのアッセンブリッジ 2011 その2

  Written by 立花 峰夫  
 
 前回に引き続き、去る2月上旬に行われたモンテベロ赤2011のブレンド(第一アッセンブリッジ)についてお伝えする。書き手は、リッジのオフィシャル・ブログの執筆者であるクリストファー・ワトキンス(リッジ小売部門マネージャー)である。

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 モンテベロは、「造り上げられる」ワインである。文字通り「地面から」築かれていくものであり、畑の境界線内にあって、自然に得られる複雑性、ニュアンス、多様性だけに基づいている。我々の山は、低部、中部、高部の三つの層に分かれていて、それらがさらに小さな区画に分割されているのだが、目的は微気候が生みだす奇跡的な卓越性を同定し、他と分かつためである。画家のパレットのようなものだと想像してほしい。いろんな色が様々な調子で載っていて、素晴らしい作品を生み出す材料となる。全部をただ混ぜ合わせてしまえば、形も魅力もない泥のようなものになってしまうのだが、それぞれの色を別々にしておくことで、天才的な仕事の源となるのだ。ブドウ畑についても同じように考えることができる。すべてのブドウを一度に収穫し、それぞれの小区画が持つ独自の個性にまったく注意を払わなければ、出来上がるワインは形がなく、ぼんやりとしたつまらないものになるだろう。だが、それぞれを別々に収穫し、慎重に区別してワイナリーに運んでやり、発酵管理やテイスティングでも同じようにしてやれば、偉大さにつながる材料を、魔法を生み出す純粋なる建材を手にできるのだ。



  このようにして、モンテベロは造り上げられる。スタート地点になるのは24の畑の区画で取れたワインのグループであり、歴史の中で一貫してモンテベロらしい果実を産してきたところだ。このブレンドされた「コントロール(基準ワイン)」は、歴史を通じて議論の余地なく安定した品質、美しさを見せた区画を集めたものである。このコントロールのワインが、第一アッセンブリッジのスタート地点となる。コントロールのワインが入ったグラスの横に、もう一つのワインの入ったグラスを並べるのだが、そこにはコントロールにもう一種類だけ追加の区画を加え、ブレンドしてある。テイスティングはブラインドで行い、誰もどっちがどっちかは知らない。それからはひたすら試飲に没頭し、コメントを書く。ワインを口に含み、空気を口内に送り込み、そして吐きだす。繰り返し繰り返し同じことを行う。じっくりと考え、自分の中で行きつ戻りつし、他のメンバーとも(後に)議論し、神のことすら考える。色を眺め、アロマの中に鼻を浸し、液体が口内に行きわたるようにする。激しくスワリングしてワインを空気にさらし、繊細な味を拾いあげるようにする。様々な比喩が用いられ、分析が重ねられる。タンニンはまろやかか、目立つか? 酸味は固いか生き生きとしているか? 果実味は頑強で力強い感じか、それともデリケートでエレガントか? 最後には、決断がなされねばならない。片方のワインは恐ろしい「マイナス(劣っている)」という宣告を下され、もう片方が「プラス(優れている)」と肯定されるのだ。まず、それぞれのテイスターは、他のメンバーにわからないように、自分のスコアをエリックに報告する。それから議論がスタートするのだが、それまでの葬式めいた神聖なる静寂とはガラリと雰囲気が変わる。それぞれのテイスターが、自分がどちらを支持したかを述べ、その理由を説明する。説明によって意見を変える者も出るが、投票はそれ以前に完了しているので、後から評価を変更することはできない。だが、他のテイスターの洞察はゾクゾクさせられるものであり、皆は人のコメントについてもノートを取る。黄色い罫線の引かれたノートのページには、既にびっしりと書き込みがなされているのだが、そこに新たに走り書きがなされるのだ。さて、新しく追加された一区画は何だったのか? ルーステンの区画のカベルネ・フランの若木なのか? それとも、中部の畑に植わるメルロなのか? カーテンが開かれ、投票結果が計算されると、判決が明らかになる。





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 立花 峰夫
 フリーのワインライター/翻訳者。
 2003年ヴィンテージには、リッジ・ヴィンヤーズの研修生
  として醸造を経験。