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連載コラム Vol.16
リッジのワイン造り、その核心  自然発酵 後編
  Written by 立花 峰夫  
 
 天然酵母に関するこのコラムの前編において私は、自然発酵とは「培養酵母 を使わないこと」だという少し妙な定義をした。何故このような間接的な表現 を用いたかというと、「天然酵母」とは何かについて様々な対立する意見があ り、統一見解が存在しないからである。
 もっとも広く信じられているのは、天然酵母は葡萄畑に生育しており、収穫 時期になると葡萄の果皮に付着して増殖する、という説である。ヨーロッパの 自然派生産者の中には、畑がそれぞれ独自の酵母層を持ち、それがテロワール の特徴のひとつになっていると信じるものが多い。(ちなみにポール・ドレー パーは、「酵母までテロワールというのはさすがに大風呂敷」という立場。微 妙な意見のズレが興味深い。)
 だが、天然酵母が畑にいるという見解については近年、実験によって否定さ れたと考える識者も多い。畑の葡萄を調査しても、酵母が見つからなかったと いうのである。では自然発酵が起こるのは何故かというと、畑ではなく「蔵付 きの酵母」、つまりワイナリーの空気中や醸造設備などに住み着いている酵母 がいるからだとする。人によっては「蔵付き酵母とは、かつてその場所でアル コール発酵を起こした、繁殖力の強い培養酵母であるケースがほとんど」とし、 そこから「自然発酵なんぞをありがたがる理由はない」とまで極論することも ある。
 この天然酵母の居場所問題についても、リッジではかつて実験を行っている。 厳密な手順でワイナリー内を滅菌し、潜在的な蔵付き酵母を完全に除去した環 境で自然発酵を試みたのである。ワインはいつもと同じように自然に沸き立っ た。同時に行われたいくつかの補助的な実験からも、畑にもワイン酵母がいる ことを示すデータが出た。蔵付き酵母の存在が否定されたわけではないが、蔵 付きだけではないことが分かったのである。
 こうした諸説プンプンの状況を受けて、最近では「天然酵母」という曖昧な 言葉の代わりに、「環境酵母 ambient yeast」という用語が使われるようにな ってきている。「環境」の語が持つ広い意味の中に、畑だろうがワイナリーだ ろうが包含してしまえ、ということなのだろう。酵母メーカーが培養酵母のこ とを、「選抜された天然酵母」などと紛らわしい呼び方をすることもあるから、 誤解の余地がなくていいのかもしれない。だが個人的には、大地とのつながり を感じさせる、「天然」のほうを好ましいと思っている。
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 立花 峰夫
 フリーのワインライター/翻訳者。
 2003年ヴィンテージには、リッジ・ヴィンヤーズの研修生として醸造を経験。