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連載コラム Vol.157
カリフォルニアワインのスタイルについて
  Written by デヴィッド・アマディア  
 
 18ヶ月前、私はワイン業界における最初の仕事――輸出担当マネージャーに再びつく機会を得た。はじめての「まとも」な仕事であり、年は1990年のこと、カリフォルニアワインはほとんどの国際市場にとってまだ新参者だった。私たちは開拓者として、世界中の新しい市場にカリフォルニア州の旗を立てようとしていて、ヨーロッパが特に重要と考えられていた。

 当時、カリフォルニアワインに対する偏見は、ヨーロッパにはなかった。ワイン業界の人間も消費者の皆さんも、その実力を評価してワインを飲んでいた。カリフォルニアの評判は非常によく、1976年の「パリスの審判」がそのきっかけとなっていた。1990年代のヨーロッパでは年を追うごとに、レストランのワインリストや、高級ワインショップの棚に並ぶカリフォルニアワインの数が増えていっていた。カリフォルニアは、ヨーロッパの地において確固たる足場を築こうとしていた。

 それから15年が瞬く間に過ぎたあと、私がヨーロッパの地で目にした光景はショックだった。今日、カリフォルニアワインは極端な偏見の目で見られ、味わわれている。過熟で、アルコールが高く、単純で、テロワールの特徴がなく、商業的に人為的操作を加えて造られていて、食事とあわせるのには相応しくないというのだ。ナパに始まりカリフォルニア全土で繰り広げられた、より高い熟度のブドウを求めようとするワイナリーの動きは、評論家から高い点数を獲得し、国内でワインを売るぶんにはプラスだったが、旧世界の飲み手を侮辱するものだった。その結果、1995年当時と比べ、ヨーロッパのワインリストに載っているカリフォルニアワインの数は減ってしまっている。ヨーロッパ人は今も、品種や地域、時にはブドウ畑の個性が現れた、バランスのよいワインを好んでいる。今日のカリフォルニアワインに一般的なスタイルでは、産地やブドウ畑はおろか、品種の個性すら見出すのが難しいのだ。

 リッジにとって、これは難しいパズルである。我々もカリフォルニアのワイナリーであるから、上述の先入観を持たれることは避けられない。たとえリッジのワインが、カリフォルニア全体の傾向の対極に位置しているとしてもだ。事実、我々のワインはバランスのとれたもので、過熟なニュアンスはなくアルコール度数もほどほどである。テロワールを反映したもので、食事とは抜群に合う。マーケティング的な観点からすれば、我々は今極力カリフォルニアワイン全体から距離を置くべきであろう。ヨーロッパのワイン業界に対し、「我々は単に優れたワイナリーであって、たまさかカリフォルニアにあっただけ」というメッセージを伝えていくのである。

 ここアメリカにあっては、我々のスタイルは他と異なるという点で重要である。モンテベロとナパ産カベルネを対比させても、単一畑産ジンファンデルをポートワインのような(他ワイナリーの)ジンファンデルと対比させても、その差は明白だろう。過去50年間、リッジが己のアプローチと原則に忠実であり続けられたのは、飲み手である消費者の皆さんがついてきてくれたから、そして業界の人々が支持してくれたからで、それは時代の流行が我々とは逆を向いていたときでも変わらなかった。とはいえ、流行の振り子は今、振れ幅の端に達したように見える。カリフォルニアワインは、もっと穏やかでバランスのとれたスタイルへと、戻ろうとし始めたかもしれない。我々はただ、そうなることを望むのみである。

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 デヴィッド・アマディア
 リッジ・ヴィンヤーズ 販売&マーケティング担当副社長