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連載コラム Vol.15
リッジのワイン造り、その核心  自然発酵 中編
  Written by 立花 峰夫  
 
 リッジがこだわる天然酵母のメリットとは何だろうか。それは、問題なく自然発酵が生起すれば、培養酵母では得られない風味の複雑性が得られるというものである。培養酵母での発酵では、基本的に単一種の酵母が発酵の全プロセスを司るのに対し、天然発酵は複数種の酵母の混成軍である(文献によっては100種類以上と見積もっている)。アルコール発酵では、エタノールと二酸化炭素以外にも、微量の副生成物が酵母によって産出されるのだが、天然発酵では酵母の種類に比例して副生成物も増え、それがフレーバーに影響を与えるという説明が一般になされている。
 ただしこの説は、いまだ厳密な科学的証明がなされたわけではなく、醸造家や研究者のあいだでも意見が分かれている。リッジをはじめ自然発酵を好む多くのワイナリーが、自然発酵の効用を経験的に認めている一方で、培養酵母の信奉者は有意差を一切認めないか、差があるにしても、自然発酵のリスクとは天秤にかけられないほど微小だという立場をとることが多い。また自然発酵でも、発酵が始まってしばらくすると単一種のワイン酵母が支配的となり、培養酵母と何ら変わらないとする向きもある。
 最後の意見については、その反証となる実験データが、かつてのリッジで実際に得られている。カリフォルニア大学バークレー校との共同研究として、自然発酵中のワインを調査したところ、数種類のワイン酵母が代わる代わる支配的になる様子がはっきりと確認できたのだ。複数種類の酵母の関与が証明されたからといって、風味の複雑性が自動的に保証されるわけではないが、状況証拠としてはなかなか有力であろう。
 この件に関する論争は今後も続くだろうが、たとえ大きな差がないにしても、自然なものを活用することにはそれ自体に意義がある、というのがリッジのスタンスである。現代における自然発酵とは、決して効率的な選択肢ではない。培養酵母代が浮くというささやかなコストメリットがあるとはいえ、タンク繰りの効率の悪さ、発酵中に問題が生じるリスクなどを費用換算すれば、とてもそんな端金ではすまない。発酵開始までは一つ一つのタンクの状態を注意深く見守らねばならず、生産量な大幅な拡大も望めない。しかし、葡萄がひとりでにワインに姿を変えるというプロセス……この神秘への敬意が根底にあるかぎり、リッジの自然発酵は今後も続けられるだろう。
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 立花 峰夫
 フリーのワインライター/翻訳者。
 2003年ヴィンテージには、リッジ・ヴィンヤーズの研修生として醸造を経験。