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連載コラム Vol.123
醸造家が考える「ワインの評価」 その3
  Written by ポール・ドレーパー  
 
2)新しい時代: ワインライターとワインの点数評価
1970年代の半ばに、ロバート・フィニガンが『私的ワインガイド Private Guide to Wines』というニューレターの発行を始めた。フィニガンは、その時々に市場にある(たとえば)カベルネの中から優良生産者のものを集め、何日か何週間かかけてすべて試飲する。それから好みの順にワインをリスト化し、コメント、価格を添えるのだが、ワインを点数で評価することはなかった。1976年から1977年にかけての時期、市場にあったワインをフィニガンがどう評価したか、私はよく覚えている。というのも、80ほどあったカベルネのリストの中で、1973年のモンテベロがトップに載せられたからだ。とても喜びはしたのだが、同時にこの結果には驚きを禁じえなかった。優れたワインだという自負はあったものの、偉大なワインとまでは考えていなかったからだ。しかしながら、フィニガンの評価が的外れだというわけではない。1973年のカリフォルニアは全体に作柄に恵まれなかったから、モンテベロが相対的によく見えたということだろう。(何年もあとのことだが、ロバート・パーカーがこのワインについて、ボルドーそっくりだと述べたことがあった。彼特有の、間違いを恐れぬ人好きのする態度で、である、デトロイトで私たちとともに、モンテベロの垂直テイスティングをしていたときのことだ。) 一般の消費者からも、1973年がいま美しく熟成した状態にあるという感想が、ワイナリーに寄せられ続けている。こうした個人的な感想を、私たちは重視しているだが、というのもこの世界で最も重要な人物とは――ワインの評価が向けられる先として想定されている人物とは、消費者にほかならないからだ。

サンフランシスコでは、1973年に発足したヴィントナーズクラブが、非常に有用な活動を展開していた。毎週、なにか特定の品種をとりあげては、その時動いているヴィンテージの、あるいは熟成した古酒のテイスティングを開いていたのである。評価は単純に好みかそうでないかに基づいていたが、一番好きな銘柄については、20点法での点数も用いつつ褒めることになっていた。こうしたテイスティング会でトップを取った銘柄は、後日集められてプレーオフならぬテイストオフ(決勝戦)が開かれていた。クラブの会員の中には大変に経験豊富なテイスターも多く、専門家と呼ぶべき人々も少なくなかった。専門家以外では、知識の深い一般消費者が大半を占めており、高級ワインの愛好家がどういうワインを好むかについて、貴重なデータを与えてくれていた。なつかしいこの頃、私もほかのテイスターに混じって腰掛けており、仲間を「専門家」だと考えていたものだ。特定の興味深いテイスティングでは、お互いが付けた点数を集計し、グループ全体の好みを一般メンバーの好みと参考までに比較したりもした。毎回同じメンバーで構成される小グループが行うテイスティングは、一貫しているし、合理的でもある。ワイン評価に関する私の考え方には、この時の経験が生かされている。

ワインを評価する出版物がほかにも現れ始め、たいていはニュースレターという形式を採用していた。その媒体の評価がどれだけ一貫しているか、ひいてはその媒体がどれだけ役に立つかは、テイスティング・パネルの顔ぶれと、発表される評価が何らかの外的要素(ワインの品質、スタイルに関連しないもの)によって歪められるかどうかにかかっているように思われた。若き法律家で、ワインへの情熱を燃やしていたロバート・パーカーが、舞台に現れたのが1978年のことである。彼が発刊する『ワイン・アドヴォケイト』という消費者ガイドでは、本人が個人的に試飲した銘柄だけが論じられていたから、ワインの解説や評価には高い一貫性があった。パーカーは、学校のテストでおなじみの100点法を、ワインの評価に始めて用いた人物である。

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 ポール・ドレーパー
 リッジ・ヴィンヤーズ 最高醸造責任者 兼 CEO