Archives
連載コラム Vol.114
ドン・リーセンを悼む その2
  Written by 立花 峰夫  
 
 今回は、先日逝去したリッジ・ヴィンヤーズの元社長、ドン・リーセンと生前親交が深かった、大塚食品(株)の黒川信治氏による追悼文を掲載する。

******************************************

Donn Reisenを偲んで
黒川信治

 RIDGE VINEYARDSと言えば、十人中十人がPaul Draperと答えるであろう。私もその一人である。ただ、その時、その答えとは別に私の頭の中では必ずある一人の人物が浮かび上がっている。これは、私だけでなくRIDGEと関わったことのある多くの人に共通のものと信じている。その人物が、Donn Reisenである。
 彼は、釣りをこよなく愛し、いつもユーモアあふれ誰からも慕われる人柄であり、私にとって最大の理解者であり、ビジネスパートナーであり、人生の師匠であり、私のつたない英語にいつも根気良く嫌な顔ひとつせず、付き合ってくれる外国語圏の最も親密な友であった。私が時々英語会話に詰まったときに「申し訳ない」と謝ると、決まって”Your English is better than my Japanese.”と言って満面の笑顔で答えてくれたのが、今でも忘れられない。この言葉が、シャイな自分にどれだけ勇気を与えてくれたことか。
 彼とのエピソードは語り尽くせないほどあるが、それは全てが暖かく、今想い出しても心の奥底から温もりが湧いてくる。彼が亡くなった後、そんな話をRIDGEのスタッフと話していると、「自分に対してもそうであった」「仕事だけで無く困ったことがあると、本当に親身になってくれた」と皆が口を揃えて言うところに彼の偉大さを改めて感じさせられるのであった。

 そんな心優しい彼は、私がアメリカ赴任して右も左もわからない頃から、よく食事に誘ってくれていた。それは赴任を終えて出張ベースでRIDGEを訪れるようになってからも継続し、いつしか恒例行事となっていた。そして、彼とのDinnerが出張時の最も楽しいイベントのひとつとなっていた。他愛の無い話からビジネスの話まで、しゃべりだしたら止まらないDonnのおかげでいつも賑やかで楽しいひと時であり、お互いの情報交換の場として非常に有意義な時間でもあった。
 そして、決まってどの店でも、オーナーやソムリエが親しげにテーブルに挨拶に訪れるのが印象的で、いつも明るく楽しいオーラを放ち、人を引き付ける魅力に毎度のことながら感心させられるのであった。

 そんな彼からオーラが消えたことがある。それが、今回に結びついたと思われるアクシデントである。5年前の3月、いつもようにロードレーサータイプの自転車で自宅周辺を走っていた彼がトラックと接触。トラックと自転車では結果はあきらかで、まさに絶体絶命の状況に陥ってしまった。(今回のことを思うと幸いとは言い難いが、その時点では)幸いなことに、事故現場がスタンフォード大学のすぐ近くであったため、極めて短時間で世界最先端の医療技術をもつ病院に運び込まれることができ、一命を取り留めている。直後の彼を知る人は、彼が社会復帰できないのではないと思った程の重症であった。私もその一人である。事故から数ヶ月後に彼に会ったとき、冗談めかして語った「あの時、頭部を残して顔がほぼ全壊していたので、個々のパーツは前よりバランスのとれたものにしてもらった。どんな顔にも整形することが出来たので、ハリウッドスターの顔にしておけばよかった。」「前の事故で曲がっていた鼻がまっすぐになったので、ワインの香りがよりはっきり感じられる」といった言葉の裏に、事故の大きさを感じていた。その後、会う度に会話・食事といった面では、着実に回復を遂げていたように見えたものの、大きな事故だっただけに目に見えないところで問題があったようである。
 今となっては、推測の域を出ないが、「最先端の技術によって助けられたことが、別の形で苦しみをもたらすと言う皮肉な結果を招いたのではないだろうか。」と考えさせられている。
 人には言えない苦しい状況になっても、彼は、1月14日に会った最後の時まで「あれは、大丈夫か?」「何か出来ることはないか?」と気遣ってくれていた。今考えれば、それが私への置き土産だったのではないか。その時点で気づけなかった自分が歯がゆいが、既に為すすべも無く、唯唯、心より追悼の意を表すのみである。

 太鼓が好きで、車に仏像を飾っていた親日派の一面を持っていたDonn。
 2002年5月に一度訪日しているが、再度訪日したいと言っていたDonn。
 恒例となったあるDinnerのときに、「いつかプライベートで一緒に北海道へ旅行しよう」という約束をした。今となっては叶わぬ夢であるが…もしかして既に千の風に乗って日本に来ているかもしれないが… 私自身が落ち着いたら彼の遺影と伴に北の大地を巡ってきたいという思いに駆られている。     合掌

Archives
 立花 峰夫
 フリーのワインライター/翻訳者。
 2003年ヴィンテージには、リッジ・ヴィンヤーズの研修生
  として醸造を経験。