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連載コラム Vol.1
Who's Paul Draper ?
  Written by 立花 峰夫  
 
  リッジ・ヴィンヤーズの醸造家、ポール・ドレーパーはスーパースターである。
アメリカ・ワインの歴史は、花形醸造家を抜きにしては語れないが、その中でもポールの存在はかなり突出している。
  世界市場でアメリカ・ワインの歴史が始まったのは1970年代。その時代からずっと、ポールは当地の看板役者の椅子に座り続けている。ワインに関する世界の主要な賞を総ナメし、その発言は、昔から異常なほど高い頻度でワイン・メディアに取り上げられてきた(アメリカを扱ったワイン本には、必ずポールのコメントが大量に載っている)。そう、彼はジャーナリストにものすごくモテるのである。
  なんてったってポールは話題性豊かな男。ワイン造りの腕は抜群、キラキラひかる実績が35年分もある。超高速回転する頭と魅惑の低音を奏でる舌を持ち、何を聞いても面白い答えが返ってくる。たとえお題が、実存主義やモーツアルトでも同じである。ロマンス・グレーに山羊髭、インテリ眼鏡でダンディー、もう67歳だというのにルックスはすこぶるよい。仏・伊・西、どの国から人が来ても、彼ら/彼女らの母国語で流暢に話す。そりゃあ、人気者になるでしょうよ。無理ないです。
  ただし、ポール・ドレーパーの真骨頂は、マスコミ受けする如才無さとはまったく別のところにある。彼は、時代の先端にいる芸術家や学者だけが持つ、視点と足捌きを備えているのだ。伝統主義とサイエンス。テロワールへの敬意と造り手の「署名」。稲妻のような天才的ひらめきと、石のような職人芸。こうした相反するベクトルに両足を掛け、あるいはその狭間で、ポールはワインを造り、言葉を紡いでいる。そこから生まれるものに、迫力と深みがともなうのは当然だろう。
  ポール・ドレーパーは、ビジネスマンとしても成功者である。1969年の就任当時、わずか3000ケース弱だった生産量が、7万ケースまで増えたのは彼の力があってこそ。これでも大手ワイナリーに比べれば慎ましい量だが、適正利益をコンスタントに得られるようにした功績は大きい。加えてポールは人格者でもあり、ワイナリーのスタッフからも全幅の信頼を得ている。本当に、1ミリの隙もない。何をどうしたら、こんなにエラい人が出来たのだろう?
  というわけで、このコラムでは今後数回にわたって、ポール・ドレーパーのキャリアを追ってみようと思う。生い立ち、若かりし日のヨーロッパ滞在、チリでのワイン造り……彼の半生を眺めるうちに、スター誕生の秘密が見えてくるかもしれない。
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 立花 峰夫
 フリーのワインライター/翻訳者。
 2003年ヴィンテージには、リッジ・ヴィンヤーズの研修生として醸造を経験。