Archives
連載コラム Vol.78
リットン・スプリングス小史 その3
  Written by デヴィッド・ゲイツ  
 
第三部 畑の統合と稲藁ブロックのワイナリー
 ディックの思いつきとは、彼が所有するヴァレー・ヴィスタの畑とリットン・スプリングス・ワイナリーを売却し、 メンドシーノに同じく保有するカベルネの畑に集中するというものだった。そうしたわけで、我々は幸運にも(一生懸命に働いた結果でもあるが) ディックから畑とワイナリーを1991年に購入することができた。1902年に植えられたブドウ樹は、混植ではあるがジンファンデルが主体である。 このブドウはリットン・スプリングスのワインに背骨を与えるだけでなく、時にはリットン・エステートの名前で発売するワインの原料にもなった。 丘のうちの一つにある小さな区画のグルナッシュを、ノートン農園にある二区画のグルナッシュと合わせて、グルナッシュとジンファンデルを ブレンドしたワインを生産しはじめた。ヴァレー・ヴィスタの畑は、サンタ・クルーズ山脈以外の場所で我々が購入した初めてのものであり、 ソノマ郡のジンファンデルに対する我々の取組みが、ますます強められることになった。 その後の1995年には、ビル・ハンブレヒトがポールのもとにやってきて、興味深い提案をする。
 ハンブレヒトは、ノートン農園を売ることにしたのだ。リッジがこの畑を購入したのだが、我々は天にも昇る気持ちだった。 リットン・スプリングのブドウの全てがいまや自社畑産のもので、所有・耕作とも完全に管理できるのだから。 ヴァレー・ヴィスタの畑を「リットン・エステート・イースト」に、ノートン農園を「リットン・エステート・ウェスト」にそれぞれ改名した。 我々はまた植え替えにも着手し、それは今日まで続いている。ジンファンデル、プティ・シラー、グルナッシュ、カリニャン、マタロ、シラー、ヴィオニエを、 複数のワインの原料にする目的で植えた。実験のあと、その他のブドウ品種はすべて引き抜いてしまったのだが、それはこの場所に適さないと考えたからだ。 結局のところ我々は、リットンの畑について世界で最もジンファンデルとその補助品種に適した場所だと信じているのだ。 どうして他の品種を植える必要があろうか。

Archives
 デヴィッド・ゲイツ
 リッジ・ヴィンヤーズ副社長/栽培責任者