ポール・ドレーパーの引退声明

80歳――退くには実にふさわしい節目かと思われます。世界でも最高の部類に入る醸造家がふたり、栽培責任者がひとりリッジにはおりまして、その全員と20年以上の歳月をともに過ごして参りました。エリック・ボーハー、ジョン・オルニー、デイヴィッド・ゲイツの3人と一緒に、私も主要なテイスティングにはずっと参加してきましたが、過去10年に関して言うならば、リッジのワインは彼らが造ってきたもので、私のものではありません。ですから、今後のヴィンテージの品質とスタイルがどのようになるかについては、皆様はすでにご存じなのです。

私は、シカゴの西にある80エーカーの農場で育ちました。チョート校からスタンフォード大学へと進み哲学の学位を取ったのち、北イタリアで2年半を過ごしたのですが、当時は兵役に就くのがまだ義務だったからです。モントレー語学学校で学んだあと私に課された役務が、ヴェネト州での文民通信員だったのは幸いでした。パリ大学に留学し、フランス中を旅しても回りました。その次に携わったのは、親友のフリッツ・メイタグとともに、チリ南部海外沿いの歴史あるワイナリーを再興させることです。いくつかの単一畑で、灌漑をせずに育てられた古木のカベルネを用いて3ヴィンテージを仕込み、1969年の始めにカリフォルニアへと戻ってきました。

デイヴ・ベニオン、チャーリー・ローゼン、ヒュー・クレインという、スタンフォード研究所(SRI)の3人の科学者たちが、歴史あるモンテベロ・ワイナリーをリッジ・ヴィンヤーズと名付け直し、1962年に開業していました。彼らからの頼みで私は、チリと自分たちの伝統的な手法について話したのです。私の話は、彼らのやっていたことと噛み合いました。3人はワインについて、何かしら「本物」なのだと考えていたのです。ワインは、SRIで行われていた先端研究における「仮想(ヴァーチャル)」な世界を、矯正してくれる最高の存在でした。醸造責任者になってくれと頼まれた際、1940年代に植えられたカベルネから造られたモンテベロの62年、64年を飲ませてもらったのです。3人はそれまでにワインを造った経験などなく、単に土曜日だからという理由でブドウを摘み、破砕して小さな発酵槽に入れるのですが、酵母を添加したりはせず、そのまま日々の仕事に戻っていっていました。組んだ格子を使って潰した葡萄を液中に押し沈め、翌週に戻ってくると上手い具合に発酵していたわけです。一週間後にはワインが辛口になっていましたから、葡萄を搾った上で、プレスワインと最小限度の亜硫酸を添加していました。

このワインは、天然乳酸菌によるマロラクティック発酵を完遂していて、その6年後に私が3人と飲んだ際には、それまでに味わってきたあらゆるカリフォルニア・ワイン――40年代、50年代で最高と謳われた銘柄まで含めたものの中でも、最も上質かつ複雑な味わいだったのです。単純に、余計なことをしなかったおかげでした。3人がずば抜けた土地をもっていることは明らかでしたし、私が加われば、非常に優れたワインを造るチャンスに恵まれるだろうと予想がついたのです。

19世紀前半から1960年代のヨーロッパにおいて、カリフォルニアでは1890年代から1920年までと、1930年代後半の時代に、極上のワインを造ることができたのは前工業的な手法であって、リッジはずっとその手法に特化してきました。その点で、カリフォルニアのワイン産業に貢献できたのであれば幸いに思います。少なくともリッジは、大きな成功を収めました。小規模で高品質志向のカリフォルニアの造り手としては初めて、アメリカ東海岸で生産量の大きな部分を売ることができましたし、1970年代前半からヨーロッパへも輸出をしていました。モンテベロ1971は、イギリスとフランスの両方に輸出されましたし、今では40カ国以上にワインを出荷するようになっています。

1970年代前半、モンテベロの畑で造られたワインの高い品質が、スティーヴン・スパリュアの目に留まり、今日では名高い1976年のパリ・テイスティングに、モンテベロ1971が含められました。スパリュアが、その30年後にも同じワインを使い、ロンドンとカリフォルニアで再対決を仕組んだところ、モンテベロ1971は、2位のワインに18点差をつけて1位に輝きました。ボルドーでも最良の銘柄に比肩しうるモンテベロを生み出せること、また気候がボルドーより好ましいこともあって、品質がより一貫していることについては満足していると言えるでしょう。とはいえ、古木のジンファンデルを伝統的に仕込んだ際に生まれる品質を目の当たりにしたことで、私はそれまでカベルネにしか向けられていなかった注意と手間暇を、このブドウとそのワインにも注いでやるべきだと確信したのです。

60年代の半ばから、複雑で際立った個性のワインを生むポテンシャルのある、古木のジンファンデルを探し続けてきました。このブドウから、優れた品質のワインを造る草分けになろうとしたのです。その高い目標は、ジャンシス・ロビンソンが1989年に出した『ヴィンテージ・タイムチャート』という本において、ガイザーヴィルの畑をモンテベロとともに、彼女の選ぶ世界で最も優れた70のブドウ畑の中に含めてくれたことによって大いに助けられました。世界のどこであっても、我々が取り組むこのブドウから高級ワインを造ることなどしていなかったのです。だからこそ、土地と品種、品質志向の醸造が組み合わさることが必須でありました。

長年勤め上げてきましたし、伝統的なアプローチにこだわり続けてもきましたから、いくつかの賞を頂戴しております。デカンター誌のマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた数少ないアメリカ人として、ロバート・モンダヴィとアンドレ・チェリチェフの両氏に加わることが出来ましたし、ワイン・スペクテイター誌からは生涯功労賞をいただきました。マスター・オブ・ワイン協会は、「醸造家が選ぶ醸造家大賞」をくださったのですが、これはマスター・オブ・ワイン資格をもつ醸造家の投票によって選ばれるものです。このほか、ワイン国際アカデミーの会員も長い間務めさせてもらっております。

今の私は、ブドウ畑とワイナリーを、家族に引き継ぐような気持ちでいます。自らの目指す職人仕事を、己の天職を50年間にわたって突き詰められた私の人生は、実に素晴らしいものでした。チリで3年間、リッジで47年間です。これで一線は退くことになりますが、取締役会の会長としての責務は、今後も果たして参ります。長年計画していた今回の体制変更を、会長の立場から最大限支えていく所存です。


ポール・ドレーパー

備考
リッジ・ヴィンヤーズのCEO兼醸造責任者であるポール・ドレーパー退任に伴う声明。
以後は取締役会の会長(2016年7月1日付)